「焼き場に立つ少年」が世界中に知られるきっかけをつくったスペイン人

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 8月9日は長崎原爆忌だった。


 2018年にローマ教皇フランシスコは、アメリカの従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」と題される写真入りのカードを配布するよう指示し、「核なき世界」への想いを強くアピールした。「焼き場に立つ少年」に関するオダネル氏の文章の和訳は、
http://leoap11.sakura.ne.jp/…/new/yakibanitatushounen.pdf などにある。この写真は、被爆の悲劇が子供たちにも及んでいたことを表しているが、それでも少年には不屈の想いがあったことが写真からうかがえる。


 この写真は長崎原爆資料館にも展示されるほど日本では知られるものだったが、それをフランシスコ1世に伝えたのは、先月亡くなったスペイン人の修道士のアントニオ・ガルシア氏(1929年生まれ)だった。ガルシア氏は日本二十六聖人記念館(長崎市西坂町)の館長などを務めたが、15歳でカトリック修道会イエズス会に入り、1950年に来日し、広島など各地の修道院で活動した後、神奈川県の栄光学園の副院長などを務めた。

被爆者のために働きたい スペインで原爆写真を見て来日 修道士 アントニオ・ガルシアさん 大事なことは対話
https://nordot.app/397199697041523809


 ローマ教皇フランシスコとは1987年に東京で知り合い、文通をするなど親交を深め、互いに「友人」と呼び合う間柄となった。「焼き場に立つ少年」を教皇フランシスコに送り、少年に関わるエピソードを伝え、写真が世界に広く知られるきっかけをつくった。


 2017年暮れ、バチカンは関係者たちに「焼き場に立つ少年」の写真入りのカードを送ったが、そのカードには「戦争がもたらすもの」という教皇の言葉が添えられ、「亡くなった弟を背負い、焼き場で順番を待つ、少年。この写真は、アメリカ占領軍のカメラマン・ジョセフ・ロジャー・オダネル氏が原爆後の長崎で撮影したものです。この少年は、血がにじむほど唇を噛み締めて、やり場のない悲しみをあらわしています。」という文章が記されていた。教皇は2018年1月、「写真を見て胸を打たれた。このような写真が千の言葉よりも多くを語る。だから分かち合いたいと思った」と語っている。


 ガルシアさんは幼い頃、スペイン市民戦争で悲惨な体験をして、広島や長崎の被爆後に黒焦げになった遺体が重なる写真などを見て、「困っている人のために何かをしたい」と来日、広島市の原爆被害者の救済拠点ともなっていた長束修練院で働き始めた。顔立ちからアメリカ人と間違えられて石を投げつけられたこともあったが、原爆被災者の炊き出しなどの救援活動を行った。スペインでの戦争体験から、平和や核廃絶、難民支援を訴えるローマ教皇フランシスコにかける期待は大きかった。


 スペイン内戦は俳優の天本英世氏によれば、ファシスト勢力と戦った共和国側に義勇兵として参加した人々は希望や理想をもっていたが、結局政治家たちの権力争いが共和国側の敗北をもたらした。共和国側の共産党や社会党が政治的主導権争いに走り、共産党はアナーキストたちを襲撃して殺害するようにもなった。政治的な人間の醜悪さのために共和国側は敗北したと天本氏は述べている。(天本英世『日本人への遺書』)


 核兵器廃絶への動きも大きな視点で見れば、政治家たちの権力闘争の場となっている。米国の核兵器に頼りたい日本の政治家たちは核兵器禁止条約に参加することなく、岸田首相は今日の平和祈念式典でも核兵器禁止条約に言及することがなかった。岸田氏は「核兵器のない世界」に取り組むと語りながら、「日米同盟の下での拡大抑止への信頼性維持と整合性を取りつつ」としているというのは矛盾がある。「拡大抑止」は言い換えれば米国の核の傘に入ることを容認することで、核を背景とする世界の覇権争いの中に日本を組み入れるということだ。政治家たちが核をもつ側の権力、すなわち核兵器大国の核抑止に頼るならば核廃絶への動きもスペイン共和国のように敗北しかねない。

アイキャッチ画像は

「焼き場に立つ少年」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532764/
◆焼き場に立つ少年
佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。彼らは六十センチほどの深さに掘った穴のそばで作業をしています。

やがて、十歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目にとまりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に負っています。弟や妹をおんぶしたまま広場で遊んでいる子どもたちの姿は、当時の日本ではよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的をもってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせていました。

少年は焼き場のふちに五分か十分も立っていたでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づいて赤ん坊を受け取り、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に焼けるジューという音がしました。

それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がり、真っ赤な夕日のような炎が、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは。

少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が鎮まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
(ジョー・オダネル氏)

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