忘れてならない空爆の歴史

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 3月10日は東京大空襲の日。1945年3月10日、325機ものB29が東京を襲いおよそ10万人の犠牲者をもたらした。執拗な絨毯爆撃を立案したのはカーティス・ルメイ少将だったが、彼は佐藤政権時代に日本の勲一等旭日章の叙勲を受けた。ベトナム戦争の際に空軍参謀長だった彼は北ベトナムを「石器時代に戻す」とも語り、北爆を推進した。

NHKスペシャル 特集ドラマ「東京が戦場になった日」
http://blog.livedoor.jp/konnnatv/archives/37747431.html


 空爆の非人道性は、ルメイの発想のように、攻撃の対象を軍人や軍事施設に限定するという国際法に違反して多くの民間人を犠牲にすることである。広島や長崎の原爆のように、当初から市民の途方もない犠牲を想定した場合もある。


 現在、シリアのイドリブ県でアサド政府軍とロシア軍は空爆を繰り返している。これらの軍隊にとって空爆が重要なのは、イドリブ県で攻撃される側の反政府武装勢力に対空攻撃能力がないからだ。無差別爆撃の結果、少なからぬ市民の犠牲者が出て国連の調査官によれば、ロシア軍の戦闘機は、昨年7月22日に市場への爆撃で43人を殺害し、また8月には難民20人を殺害した(ニューヨーク・タイムズ、3月2日)。


 荒井信一『空爆の歴史』によれば、世界で最初に行われた空爆はイタリア・トルコ戦争(1911~12年)でイタリアがリビアのトルコ軍に対して9機の飛行機で1911年10月に手りゅう弾を投下したものであった。


 パブロ・ピカソ(1881~1973)はナチス・ドイツによる空爆への抗議の意思を表した「ゲルニカ」を1937年6月4日に完成した日である。ゲルニカ空爆が同年4月26日で、ピカソは人民戦線政府の依頼によりパリ万博スペイン館の壁画として短期間で制作した。


 「ゲルニカ」のモチーフになっているのは、犠牲となる母と子、倒れる兵士、叫び声を上げる母を描き、牛はファシストの「侵略者」を圧倒するための希望を表す。


 精密誘導爆弾PGMによって正確に軍事目標をとらえることができることが強調されるようになったが、2003年に始まるイラク戦争では、およそ50回のサダム・フセインを標的にした空爆が行われたが、空爆によってフセインの「抹殺」に成功することはなかった。空爆はサダム・フセイン政権に決定打を与えることなく、またイラクの安定をもたらすこともなかった。


 日本も日中戦争で南京、重慶などに空爆を繰り返したが、さまざまな統計があるものの少なからぬ市民が犠牲になったことは明らかである。


 広島に原爆が投下された直後の8月9日に、中国の「新華日報」に「科学者がこつこつと従事している仕事の成果がロケットとなり、大型爆弾となり、果ては原子爆弾となって一瞬の間に数多くの子ども、夫、父親を殺傷してしまうことは人民の心の中に恐るべき事実として映ずることは疑う余地もない」と記されている。(荒井信一『空爆の歴史』より)


 「3月10日」は空爆の非人道性を歴史の中でふり返る日でもある。

アイキャッチ画像は

ゲルニカ
https://www.musey.net/449

東京大空襲
http://metalhorse.blog.fc2.com/blog-entry-246.html

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