徴兵制を拒否し、公正・平等を訴えた伝説の男 ―モハメド・アリ

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 ロシアのプーチン大統領が部分的動員令を出したことに抗議行動が続いている。徴兵されても訓練もなく、大砲や戦車があるからと銃も与えられない兵士もいるそうだ。深作欣二監督映画の「軍旗はためく下に」(1972)では竹やりだけで突撃を命じられた兵士がいたことが強調されていたことを思い出した。また併合した地域のウクライナ人をロシア軍に編入しているという報道もある。


 29日放映されたNHK「映像の世紀バタフライエフェクト モハメド・アリ 勇気の連鎖」ではモハメド・アリが徴兵拒否をした勇気がその後のアメリカ社会に蝶の羽ばたきのような影響(バタフライ・エフェクト)を与えたことが明らかにされていた。今年4月4日に放映されたものの再放送だが、モハメド・アリのボクシングを始めた契機から描かれる。ケンタッキー州ルイビルで自転車を盗まれたカシアス・クレイ少年は警官に被害を訴え、「盗んだ奴をぶちのめしてやる」と語るが、それを聞いた警官から「ぶちのめす前に喧嘩の仕方を学んでおいたほうがいいぞ」と言われ、ボクシングを始める。
 クレイは類まれな才能を発揮し、1964年2月25日に当時「最強の男」と形容され、35勝1敗と抜群の強さを誇っていたソニー・リストンをノックアウトで倒し、「俺は最も偉大だ!」と叫ぶ。同じ年、カシアス・クレイは名前を「モハメド・アリ」と改名する。改名の理由は彼がイスラムに改宗したからだが、彼は「モハメド」は「賞賛に値する」、「アリ」は「最も高い」という意味だと誇って語る。イスラムに改宗した理由にはイスラムの公正や平等思想に、当時のアメリカ社会で黒人に対する人種差別がある中で惹かれたこともある。

カシアス・クレイが盗まれた自転車
ルイビルのコロンビア・ジムの入口に飾られる
https://www.courier-journal.com/…/muhammad…/4962911001/


 1960年のローマ・オリンピックで金メダルを獲得しても人種差別の待遇を受け続けた。1967年4月に徴兵拒否した。「俺がなんでわざわざ1万マイルも離れた国まで出かけていって白人が有色人種を支配し続けるために人殺しをし、国を焼き払うのを手助けしなきゃならないんだ?」(モハメド・アリ:番組より)「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない。」(モハメド・アリ)


 アリの勇気はさらに連鎖していく。徴兵拒否の5年後に開催されたメキシコ・オリンピックの陸上男子200メートル決勝に出場したトミー・スミスとジョン・カーロスは当初からアメリカ社会の人種差別に抗議してオリンピックをボイコットしようと思っていた。しかし、尊敬していたキング牧師の暗殺が契機となって黒人の想いを伝えるために出場して彼らの思いをアピールすることにする。スミスが金メダル、カーロスは銅メダルを獲得した。銀メダルのオーストラリアのピーター・ノーマンも二人の想いに共感して、二人がメンバーだった人権プロジェクトのバッチをつけて表彰台に上がった。スミスとノーマンは黒い手袋を高々と上げ、人種差別に抗議した。二人はオリンピックから永久追放されたが、謝罪や後悔の発言することは決してなかった。

メキシコ・オリンピック(1968)で人種差別に抗議するトミー・スミスとジョン・カーロス
銀メダルを獲得したピーター・ノーマンも、トミー・スミスとジョン・カーロスが所属するアスリート人権プロジェクトのバッチをつけている。
https://www.history.com/news/1968-mexico-city-olympics-black-power-protest-backlash?fbclid=IwAR39UBSdsKF2XjQTIfWq5yuR1yXdb0jIonj8_o7CgMU7Ogd1iwvaUM2tRGw


 「モハメド・アリも私たちも自分の信念のためにお立ち上がった。そのことで罰せられたのだ。私が謝ったり、撤回したりすればコーチや仕事への道が開けるのではないかと提案してくれる人もいたが、私は正しいことをしたのに謝ることはできないと思ったんだ。(カーロス)」オーストラリアのノーマンも政治的行為に加担したと冷遇され、アスリートとして優秀であったにもかかわらず、二度とオリンピック代表に選ばれることはなかった。


 徴兵拒否から7年、最高裁で無罪を勝ち取ったモハメド・アリはキンシャサで無敗の王者ジョージ・フォアマンと対戦した。アリはすでに32歳、ボクサーとしては峠を越していた。しかし、第8ラウンドでノックアウト勝ちして、「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。
 その時、ハワイで夢中になってアリの試合を観ていた13歳の少年がいた。後に大統領となるバラク・オバマだった。「アリが王座を奪還して世界に衝撃を与えたとき私はまだ子供だった。逆境に直面しても並外れた勇気を発揮して嵐を切り抜ける。そんなアリの姿は私にとって常に最高のあこがれだった。」(バラク・オバマ:番組より)


 オバマ大統領は、アメリカの理念である肌の色や人種によらない万人の平等を目指した。オバマは大統領執務室にいつもキンシャサでジョージ・フォアマンにノックアウト勝ちしたモハメド・アリの写真を、またアリのグローブをホワイトハウスのダイニングルームに飾った。「彼のように勝ち目はないと思われた時でも劣勢から反撃したこともある。このグローブは粘り強さの象徴なのです。努力を続けて信念を貫けば何だってできるのです。」と述べた。その言葉の通り、オバマ大統領は同性婚を認めるなど性的マイノリティの権利の拡大に動いた。


 2016年、ホワイトハウスにスミスとカーロスが招かれ、二人の勇気は48年の時を経てアメリカ政府から称えられた。ピーター・ノーマンは名誉を回復されることなく、64歳で亡くなった。2005年にサンノゼ州立大学に建てられたピーター・スミスとジョン・ノーマンが立つ表彰台の像の銀メダルのアスリートのところに、「ピーター・ノーマンは共に立った。どうかあなたもここに立ってほしい。そして誰もが信じることのために立ち上がることができる。」と記されている。


 2016年のルイビルで行われたアリの葬儀の際に、アリの娘ラシェダは「死後も世界に衝撃を与え続けている。きっと今も俺は最も偉大だと言っていることでしょう。あなたはいつかこう言いましたね。進むべき方向も真実もわかっている。他人が求める自分ではなく、なりたい自分になるんだと。お父さん、心から愛しています。また会える日まで飛びなさい。蝶よ。」と語った。
アイキャッチ画像はオバマ大統領の執務室に飾ってあったモハメド・アリがソニー・リストンに勝った時の写真
https://www.nikkansports.com/battle/news/1658383.html

2006年10月9日、ビクトリア州の州都であるメルボルン南西郊外の町ウィリアムズタウンの市庁舎から、ピーター・ノーマン氏の棺を運ぶトミー・スミス氏(写真向かって左)とジョン・カーロス氏(同右)。
THE AGEGETTY IMAGES
https://www.esquire.com/jp/culture/column/a35066440/tommie-smith-social-justice-protest-interview/?fbclid=IwAR2yZhjUc-18yVKUWtxh-wAI2jtwC4QGPraVlBroF3WomfyQ5bh2EUKeQZ8
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