2014年7月から8月にかけてイスラエルがガザを攻撃するとメキシコ・シティでは、人々がパブロ・ネルーダの詩「そのわけを話そう」の一節を叫びながら抗議の声を上げた。

2014年7月29日
メキシコシティ
https://www.aljazeera.com/opinions/2014/8/10/solidarity-with-gaza-from-the-mexican-periphery?fbclid=IwAR0zDb1RAs6qDkFodQKqMoejAPQsZfgK4QPPAxRU3gztYRU8azeBl_5OPeU
悪党どもは 祝福をたれる黒衣の坊主どもを従え
悪党どもは 空の高みからやってきて 子どもたちを殺した
街じゅうに 子どもたちの血が
子どもの血として 素朴に流れた
山犬にさえ侮蔑される この山犬ども!
パブロ・ネルーダ(1904~1973年)はチリの国民的詩人、外交官、政治家で、スペイン人民戦線とスペイン共和国を支援し、1971年にノーベル文学賞を受賞した。

https://kokoronotanken.jp/pablo-nerudato-seijaku-yasashisato-tsunagaru-geijutsu/?fbclid=IwAR12rUsKBl9HL2g0RdEAkiEm8QKymEiK0dR1l8wR1_Mu8VukmdvglpEKTks
中米の国メキシコでもアラブの文化遺産を見ることができる。メキシコ第二の都市グアダラハラの名前はアラビア語の「ワーディ・アル・ハジャーラ(石の谷の意味)」に由来し、この都市にもスペインで盛んだったムデハル様式(イベリア半島に残ったムスリムとクリスチャンの建築の特色を融合したもの)の建築物が少なからず見られる。グアダラハラのサンタマリア大聖堂はその典型的な建築物で、ドーム屋根やモザイクの床、窓枠などにアラブの影響が見てとれる。
スペイン語には4000語余りのアラビア語起源の言葉があり、当然のことながらメキシコ人たちもアラビア語起源の言葉を用いながらスペイン語を話す。少々例を挙げれば、limón(リモン):レモン、álgebra(アルジェブラ):(数学の)代数、cero(セロ):ゼロ、almuerzo(アルムエゾ):昼食、arroz(アロス):米などだが、たいていはムスリムがイベリア半島に初めて紹介したものだ。料理でも、メキシコ人たちはアラブ・ムスリムたちがイベリア半島にもち込んだコリアンダー、クミン、シナモン、クローブなどの香料を用いる。
1890年代になると、オスマン帝国内の政情不安もあって、そのレバノン地方からの大量の移民があった。俳優のサルマ・ハエックや「メキシコの通信王」と形容され、世界一の大富豪ともなったカルロス・スリムはその家系の出身だ。アラブ移民によって中東のシャワルマなど食文化ももち込まれた。タコス・アル・パストールは、レバノン移民がメキシコ社会に紹介したもので、タコスと中東のシャワルマを折衷したものだ。また、プエブラで人気がある「アラブ・タコス」はレバノンのように、ピタ(パン)が用いられるが、シャワルマとまったく同じものである。

メキシコはパレスチナ問題でイスラエルに対して厳しい姿勢をとっている。今年、5月27日に国連人権理事会はイスラエルが空爆を行ったガザについて、人権侵害状況について調査委員会の設置を盛り込んだ決議を採択したが、メキシコはこれに賛成票を投じた。イスラエル外務省はメキシコ大使を直ちに呼びつけて説明を求めた。メキシコがパレスチナに共感するのは、ラテンアメリカが「アメリカの裏庭」とも形容されるほど、アメリカによって主権が踏みにじられてきたという歴史と無関係ではなく、イスラエルに軍事的支配されるパレスチナに自らと同様な姿を感じているのだろう。7月15日、イスラエルは、拷問や誘拐などでメキシコ政府から指名手配され、イスラエルに亡命しているトーマス・ゼロン元連邦捜査局長の身柄の引き渡しを拒否した。その背景にはメキシコ政府が国連などの場でイスラエル政府のパレスチナ政策を批判し続けていることがある。
アイキャッチ画像はグアダラハラのサンタマリア大聖堂入り口
ムデハル様式
https://nuevaalcarria.com/articulos/descubre-5-curiosidades-de-la-concatedral-de-santa-maria-la-mayor?fbclid=IwAR0MjmeeI1bpuPZ9CT2MpxQfP3spfnuFcysnHxiT3TFwc_gXo5cRad-3ErQ
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