メソポタミア文明はイラクを流れるチグリス川、ユーフラテス川の間の沖積平野で発達し、栄えた古代文明だ。「メソポタミア」という名称自体が「川の間」という意味のギリシア語の言葉。紀元前9000年にシュメール人がこの地にやってきて農耕を始めたと考えられている。
東京大学の江上波夫教授を団長とする「イラク・イラン遺跡調査団」は、1956年に北イラクの都市モースルから西に約60kmの地点にあるテル・サラサート(アラビア語で「三つの丘」を意味)の遺跡群で調査を行った。この調査は、日本人がメソポタミア地域でおこなった初めての現地調査であり、日本の考古学史上、画期的なものであった。

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イラク第二の都市モースルは3年余りにわたって過激な武装集団のISの支配を受けた。米国のブッシュ政権は、サダム・フセイン政権とアルカイダと関係があるという虚偽の主張を行って、イラク戦争を開始したが、皮肉にもイラク戦争がアルカイダと同様な主張をする武装集団をイラクに招き入れ、その台頭や支配をもたらした。
モースルは、アレッポやトリポリ、また南東のバスラやインド亜大陸に伸びるキャラバンルートや河川交易の要衝にあった。かりにマリキ政権がスンニ派と交渉せず、武力でもってモースルの解放を目指し、空爆を繰り返し、一般市民の犠牲や大量の難民の発生をもたらすならば隣国シリアの独裁者にますます近似してくると思えるのだが・・・。
1998年1月、アメリカのネオコンのシンクタンク「アメリカの新世紀プロジェクト(PNAC)」は、クリントン政権に対してサダム・フセイン政権を軍事力で打倒し、イラクの民主化を実現することを要望した。その要望書の署名者の中には「歴史の終わり」を書いたフランシス・フクヤマがいた。彼は、「歴史は自由と民主主義の勝利によって終わった」説いたが、しかしイラクで起こったことは戦争が「歴史の終わり」を決してもたらさないことを表している。

モースルのクリスチャン
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アイキャッチ画像はイラク
カイヤーラで。政府軍とISの戦闘の中で火をつけられた石油施設の前で自撮りをする男性
https://www.huffpost.com/entry/breathtaking-photos-show-the-dangers-soldiers-face-in-retaking-mosul_n_5808e4f3e4b0b994d4c4edbd?fbclid=IwAR2xWE8zXSXyeoJ6vmTHjJLOrIRN5_PfOuHv2srjKculxjjC1b2R-hsdr-U
A man takes a selfie in front of a fire from oil that has been set ablaze in the Qayyarah area, some 60 kilometres (35 miles) south of Mosul, on October 19, 2016, during an operation by Iraqi forces against Islamic State (IS) group jihadists to retake the main hub city.
In the biggest Iraqi military operation in years, forces have retaken dozens of villages, mostly south and east of Mosul, and are planning multiple assaults for October 20. / AFP / YASIN AKGUL (Photo credit should read YASIN AKGUL/AFP/Getty Images)
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