アルハンブラの思い出 スペイン最後のイスラム王朝-ナスル朝

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Translation / 翻訳

 スペイン・グラナダにあるアルハンブラ宮殿は、壮麗で、幾何学的知識を駆使した複雑な文様のアラベスク、また天才的とも思われるムスリムの水の芸術は、宮殿を造ったナスル朝の実力と栄華をよく伝えている。


 ナスル朝はイベリア半島最後のイスラム王朝で、首都の名前をとってグラナダ王国とも呼ばれている。王朝の創始者のムハンマド1世は、1232年にハエン北西の小都市アルホナで政権を樹立した。1236年にコルドバが奪還されるなどキリスト教徒の「レコンキスタ」運動が勢いを増す中で、カスティーリャ王国のフェルナンド3世と同盟し、その後250年間にわたってカスティーリャ王国の朝貢国となった。

アルハンブラ宮殿


 しかし、セルビア、ヴァレンシア、ムルシアなどからムスリム難民を受け入れながら、壮麗なアルハンブラ宮殿を建設するなど、首都グラナダの繁栄を築き壮麗な文化を残した。イスラム世界との通商を強化し、アフリカのサハラ砂漠地域の国々と金の取引を行い、絹糸や絹織物をカイロなどイスラム世界に輸出した。


 ナスル朝は、アルハンブラ宮殿など建築の優雅さと壮麗さで有名で、噴水、井戸、公共浴場を芸術的に仕上げていき、それがナスル朝文化の典型となった。アルハンブラ宮殿の最も大きな部屋は「大使の間」で、公式の接見が行われ、王の玉座もある。部屋は正方形となっていて、天井は青、茶色、赤、金色の色彩で装飾され、部屋の中央にも噴水が配置されている。部屋の下部は上薬を塗られた幾何学模様のタイル貼りとなっていて、上部は幾何学模様と植物モチーフの浮き彫り装飾になっている。


 ナスル朝の支配者たちは、アルハンブラ宮殿のように、壁や床を美しくデザインされたセラミックタイルで覆い、化粧しっくいや、創造的に彫られた石膏を使用し、壁や床の多くの表面に芸術的な装飾を描いた。装飾モチーフは幾何学的であったり、またあるいは植物デザインであったり、コーランの一節も含まれていたりした。その装飾技術やデザインは9世紀のイラクに遡るとされる。ナスル朝は、その前にイベリア半島を支配したイスラム王朝のムワッヒド朝(1130~1269年)の建築モデルを踏襲したが、重要な建築物の多くに斬新な大理石の使用法をもたらした。

2021年10月 アルハンブラ宮殿にて


 ナスル朝の芸術は建築に見られるように、ムワッヒド朝の文化を引き継いだが、ムワッヒド朝よりもはるかに多様性に富み、華麗であった。ナスル朝のラスター彩はマラガ、ムルシア、アルメリア、グラナダで造られていたが、次第にその中心はマニゼスに移り、「マニセス陶器」として有名になった。この陶器づくりはイタリアの陶器産業にも多大な影響を及ぼし、「マヨリカ焼き」に発展していった。
アイキャッチ画像はアルハンブラ宮殿
夏の離宮

アルハンブラ宮殿から見たアルバイシン地区
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