フランシスコ教皇が今年3月に亡くなった第五福竜丸の元乗組員大石又七さんに哀悼の意を表した文書を送ったという記事を書いたところ、第五福竜丸展示館学芸員の市田真理(Mari Ichida)さんから昨晩、2021年7月24日放送のETV特集「白い灰の記憶~大石又七が歩んだ道~」をご紹介頂いた。

https://www.iza.ne.jp/…/photo/PMG2FN7AENM4FEDDHSIA25RX5I/
ドキュメンタリー冒頭の部分で大石さんは「大きい事件が起こっても時間が経てば消えていきますよね。第五福竜丸の事件は(現在その意義が)大きくなっている事件だと私は思うんですよ」と語る。生涯で700回を超える講演は、人々の忘却に対する闘いでもあった。「第五福竜丸の事件は大きくなっている」というのは福島の原発事故や、核兵器の小型化、実用化などいまだに続く核軍拡などを意識して、自らの被爆の今日的重要性が高まっているという自覚から発せられた言葉だ。大石さんにとっては核兵器による恫喝を行う北朝鮮とアメリカの緊張、核抑止や、核の安全保障などの発想もひどく不合理に思えた。

https://ameblo.jp/gitarcla/entry-12688222103.html
福島の原発事故から2か月後の2011年5月に行われた作家の大江健三郎氏との対談では戦中の教育を受けた大石さんが戦争を指導していた人たちや、また福島の原発を推進していた人々が事故の責任をとらないのはどうしてでしょう、私には疑問で、我慢なりませんと怒りをにじませ、大江氏に尋ねていた。大江氏も日本社会にありがちな曖昧で、誰も責任をとらないようなことでは日本はいずれ行き詰ってしまうと答えていたが、大石さんの怒りは「無責任」という否定的伝統をもつ日本社会と、人々に被爆の悲劇をもたらした権力に向けられていた。
水爆「ブラボー」(なんとも皮肉な名前だが)による被爆直後から乗組員たちの毛髪が抜け始める。第五福竜丸の乗組員たちが焼津に戻ると、まさに「放射能人間扱い」にされ、亡くなった久保山愛吉さんは解剖で八つ裂きにされた(大石さんの表現)。日本政府は、事件を早く収拾したいアメリカ政府と、アメリカの責任を問わないままに性急に合意し、被害者一人に200万円の見舞金を支払うことになったが、見舞金を受け取ると妬みやひがみから中傷や嫌がらせを受けるようになり、焼津から東京に出てくることになる。元乗組員たちは被爆が原因と思われるガンで次々となくなり、まるで切腹を待つ武士のようだねという元乗組員の言葉にも接するが、何も悪いことしていないのに切腹はないでしょうと思った。大石さんも59歳で肝臓ガンになり、その後も肺の腫瘍をわずらった。

結婚して夫人の最初の妊娠も異常出産、死産に終わる。恐怖や不安が募る切ない日々だったろう。なんのための犠牲なのかと自問していたところに、第五福竜丸事件について知りたいという中学生の手紙が届き、被爆被害を伝えようとする決意が生れていった。盲目の少女に理解してもらうために第五福竜丸の模型を自らつくるなど、聴く側に分かってもらいたいという必死の想いや優しさが伝わってくる。2004年に同様に被爆したマーシャル諸島のロンゲラップ島の住民たちとの交流の機会にも8隻目の模型を携え、第五福竜丸の悲劇を訴えた。島の村長の息子は19歳で亡くなり、「人類の水爆死1号」とアメリカのメディアでは伝えられたが、大石さんはアメリカの人体実験のようになった村民たちに深く同情し、また村長は一人で闘う大石さんに敬服しますと述べていた。晩年になって市田さんがビキニ事件を伝える同志のように大石さんの講演を支えたのは大きな励みや心の支えとなったことだろう。
東京オリンピック2020柔道の73キロ級のアルジェリア代表、フェトヒー・ヌーリン選手はトーナメント組み合わせの結果、対戦相手がイスラエル代表になる可能性があるために、大会への出場を棄権した。アマール・ベニレフイフ・コーチとともに処分が検討されているという。ベニレフイフ・コーチは北京オリンピックの90キロ級で銀メダルをとった人だ。アラブ諸国が次々とイスラエルと正常化する中で、イスラエルは占領地の入植地を拡大したり、アメリカは駐イスラエル大使館をエルサレムに置いたりした。イスラエルが既成事実を積み上げる中で、パレスチナ問題も忘れられそうになっている。
オリンピック精神とか、柔道家精神とか言われると、アルジェリアの選手やコーチは批判されるのだろうが、それも大石さんのようにパレスチナ問題に対する記憶や関心の風化にあらがう闘争のように思える。ヌーリン選手、ベニレフイフ・コーチとも東京オリンピックのために精一杯頑張ってきたが、パレスチナの大義はそれを上回ると述べている。130年間のフランス支配を受けたアルジェリア人にはパレスチナ人のように植民地化され、抑圧される側の心情が痛いほど分かっている。
大石さんは子供に未来を託すしかないと講演を続けたが、より良い未来をつくるためには歴史を直視し、忘却することなく、正しく歴史を語り継ぎ、それを現在の価値判断の貴重な物差しとして活かすことが求められている。
アイキャッチ画像は展示された第五福竜丸の前で、当時を語る元乗組員の大石又七さん=東京都江東区で2010年7月18日、手塚耕一郎氏撮影
https://mainichi.jp/articles/20161114/org/00m/040/061000d
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