10月20日、アニメ短編映画の「セーヌの涙」がロサンゼルスで開催された学生オスカー賞の銅賞を受賞し、フランスで注目されている。この映画は1961年10月17日のパリにおけるアルジェリア人弾圧を描いたもので、独立を求め夜間外出禁止令に反対するアルジェリア系市民のデモに対して、パリの警視総監であったモーリス・パポンは力による弾圧を命じ、少なくとも200人のアルジェリア系市民が橋からセーヌ川に放り投げられるか、銃撃されるか、または警棒で殴打されて死亡した。

1961年10月17日、アルジェリア系労働者がパリ警視庁から課された夜間外出禁止令に反対するために集まる。主人公カメルは全ての出来事を記録に残すためカメラを手に取り友人のナビルと共に、デモの中心サン・ミシェル広場へと向かう。The Seine’s tears – ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2022(SSFF & ASIA 2022) (shortshorts.org)
事件は当時「パリ虐殺」とも呼ばれた。パポンはドイツ占領下のビシー政権時代に1、560人のユダヤ人の強制収容所移送に関わった人物とされ、人種主義的傾向が強かった。ヤーニス・ベライド監督など制作者たちはフランスではいまやほとんど知られることがないこの事件に光を当て、人々が事件や、その背景にある問題や構造を知る機会になればと述べた。
アルジェリアは1830年にフランスに征服されて、植民地ではなく、フランスの領土の一部とされてしまった。パポンのような極右の領土主張には正当性がないことは第二次世界大戦後の国際政治の流れや戦後に成立した一連の国際法で明らかになっていった。国連憲章は「人民の同権及び自決の原則の尊重」をうたい、また1960年には国連総会が「植民地独立付与宣言」を採択したが、その内容は(1)外国による征服、支配、搾取が基本的人権を否認し、植民地主義が国連憲章に違反し、世界平和と協力の促進に障害となっていることなどが定められた。
このように「植民地独立付与宣言」をあらためて読むと、現在のロシアのウクライナ侵攻やウクライナ4州の併合、あるいはイスラエルによる東エルサレムやヨルダン川西岸、ゴラン高原占領が国際法に照らしてまったく正当性をもっていないことが明らかになる。フランスのアルジェリア統治や、アルジェリア独立戦争は現在の国際社会にも貴重な教訓を与えている。ウクライナ4州の併合の「正当性」を主張するプーチン大統領やロシアの極右の姿勢はアルジェリア独立戦争の際のフランスの極右やファシストと何ら変わらない。
アルジェリア独立戦争におけるフランス右翼の動静については日本でも映画として公開されたフレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」などでも描かれている。アルジェリア独立を容認するようになったドゴール大統領などに対する暗殺やテロを追求したフランス軍関係者による「OAS(秘密軍事組織)」は極右民族主義の性格をもち、またパポンのような人種観をもっていた。国外に逃亡したOASのメンバーたちに対しては1968年のフランス5月革命の際にドゴールに協力する見返りとして恩赦が与えられた。まるで戦後日本政治に復活した日本のA級戦犯たちのようだ。

2020年10月16日、中学の歴史と地理の教員サミュエル・パティ氏は、担当していた授業で表現の自由を扱った際に、イスラムの預言者ムハンマドの風刺画を生徒に見せたことを理由に、過激派により斬首されて殺害されたが、その直後の10月21日に開かれたパティ氏の追悼式典で、マクロン大統領は「私たちは冒涜する風刺画や絵を描くことを諦めないだろう」と述べ、また「私たちには冒瀆の権利がある」とも語った。これらの発言に対してイスラム世界からはいっせいに反発の声が上がり、パキスタンのイムラン・カーン首相は、10月26日、マクロン大統領がイスラム・フォビア(嫌悪)を助長する道を選択したと批判した。クウェートやカタール、ヨルダンではフランス製品のボイコットの動きも現れた。

最近のイランの女性たちがヒジャーブをボイコットする動きの中でフランスなどでは、ヒジャーブそのものを否定する運動にもなっているが、それもまたフランス帝国主義時代のイスラムを卑下するようなフランスの極右やファシスト、人種主義者たちの対イスラム観に相通ずるものがあるようだ。
ふたつにみえて世界はひとつ
そのはじまりもその終りもその外側もその内側もただひとつにつながる
そのひとつの息が人間に息(いのち)を吹き込んでいます
-ルーミー(エハン・デラヴィ・西元啓子 (編集), 愛知ソニア (翻訳)『スーフィーの賢者ルーミー―その友に出会う旅』より)
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