ヤマザキマリさんが語る「多様性と寛容さが世界を救う」 ―ルネサンスをもたらしたのはイスラム文化を摂取したクリスチャンの王だった

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Translation / 翻訳

 漫画家、文筆家、画家として活躍するヤマザキマリさんは、『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(集英社新書、2015年)の第5章「あらためて、『ルネサンス』とは? ―多様性と寛容さが世界を救う」の中で「国や郷土は誰にとっても大切なものです。しかし、その場所に対する排他的な執着心や、変化というものを嫌う鎖国的な日本の精神性を、私はどうも好意的に捉えることができません。」と書いている。


 この本は多様性や寛容に基づく文化の相互作用や交流こそ狭量なナショナリズムを超えていっそう豊かな文化や文明をもたらすことを言っているように思う。ヤマザキさんが言うように、日本ではみみっちい排他的なネトウヨ文化が根強く定着し、ヘイト的な書き込みをネット上で楽しんで、自己満足に浸っている。また、世界ではイスラエルでファシスト政権が誕生し、アメリカではトランプ前大統領に依然として支持があるように多様性や寛容をどこかに置き去りにしたナショナリズムが各地で台頭するようになった。


 ヤマザキマリさんが評価したのは神聖ローマ帝国の皇帝フェデリーコ2世(フリードリヒ2世:1194~1250年)だった。

『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(集英社新書、2015年)より


「ルネサンスの精神をいち早く体現した神聖ローマ帝国の皇帝フェデリーコ2世は、13世紀のシチリアで育った個人的な経験から、当時の誰よりも多様性と寛容さの重要性を 知っていました。 彼自身はまぎれもなくキリスト教徒ですが、異教徒であるイスラム教徒 の宗教や文化を、自分の王国や宮廷の中で尊重しました。これも本書でたびたび 繰り返してきたことですが、ルネサンスを考えるうえで、イスラム世界の存在はとても重要です。」(『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』)


 神聖ローマ皇帝のフェデリーコ2世は、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世と、シチリア王女コンスタンツェとの間に生まれた。3歳にしてシチリア王を継承し、多様な文化に触れながら、ラテン語、ギリシア語、アラビア語など6カ国語に通暁するようになった。彼はイスラム支配があったシチリア島でアラビア科学の影響を受け、身につけた解剖学の知識から人体解剖の経験もあったと言われている。科学に関心があった彼は1224年にナポリ大学を創設した。


 一昨年NHKで再放映された「ヤマザキマリ・北村一輝と旅するあなたの知らないイタリア」でも、シチリア島のパレスティーナ礼拝堂を訪れながら、ヤマザキさんはフェデリーコ2世の寛容性を強調しながら、この礼拝堂では聖書の物語が描かれる一方で、天井を覆うのはアラブ人が装飾したイスラムの幾何学模様で、フェデリーコ2世は対立ではなく、共存の道を選んだことを強調した。

「ヤマザキマリ・北村一輝と旅する  あなたの知らないイタリア」
2016年 12月 16日


 シチリアは様々な民族や国に支配されてきた。ギリシア人、フェニキア人、ローマ帝国、イスラム教徒、北欧バイキングの血を引くノルマン人。まさに文明の十字路であり、人々の長い戦いの歴史の後で共存の大切さを実感することになる。市場にはノルマン人が北の海からもってきたニシン、アラブ人がもたらしたサボテンの実を食べる文化が残るなど今でもいろんな人種のいろんな食材があふれている。


 パレルモの大聖堂に眠る神聖ローマ皇帝フェデリーコ2世の遺骸を包む衣装はイスラム風であり、袖にはエルサレムの10年の平和を共に築いた盟友であるアイユーブ朝第5代スルタン、アル=カーミル(1180~1238年)に捧げられた下の言葉がアラビア語で縫い込まれている。


「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」

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