おお地球よ
なんと寛容なものであることか、地球よ。
私たちはあなたから元素をひきぬき、
大砲や爆弾をつくるのに、あなたは
私たちの元素から百合やばらの花を育てる。
なんと忍耐づよく慈悲ぶかいことか、地球よ。
あなたは神が宇宙の東から西へと旅したもうたときに、
み足のもとに舞いあがった塵ちりの一粒ひとつぶでもあろうか。
―ハリール・ジブラーン(レバノンの詩人)

ファフル・アッディーン2世(1572~1635年)は1593年から1633年にかけてレバノン山脈地帯のドルーズ派やクリスチャンのマロン派を最初に統合した人物で、現代レバノンの基礎を築いた人物とも見られている。彼自身はドルーズ派の信徒であった。当時のレバノンはオスマン帝国の領土であったものの、1608年にはトスカーナ大公国と同盟し、通商関係の確立を図り、自らが統治する地域の経済的発展を考えた。ファフル・アッディーン2世は、国内の秩序を守り宗教的寛容を維持した。農業を育成し、シドンやベイルートを通じて海外貿易も行った。経済的繁栄は移民を呼び込み、レバノン北部のマロン派農民たちは、ドルーズ派の地区に移住し、シリアやパレスチナからは正教会のクリスチャンが、またリヴォルノからはトスカーナなどの商人、またベネチア人やフランス人もレバノンの港湾都市に移住してきた。

1613年までにシリア、レバノン、パレスチナの多くの地域を治めるようになり、この「大レバノン」は経済的にも、また文化的にも繁栄した。彼の治世時代に印刷機が導入され、イエズス会やカトリックの修道女たちは学校を開設することも認められた。
2017年11月11日、レバノンの政治・軍事組織ヒズボラの最高指導者であるハッサン・ナスララ(ハサン・ナスルッラーフ)師は、サウジアラビアがレバノンに宣戦布告したと述べた。ナスララ師によれば、サウジアラビアはレバノンのハリリ首相を誘拐し、その辞任を強要することでレバノン社会を不安定にしようとしていると述べた。彼はまたサウジアラビアがイスラエルにレバノンを攻撃させようとしているとも述べた。ナスララ師は、ハリリ首相の帰国をサウジアラビアに求め、その辞任がレバノンの憲法に照らしても正当性がないと訴えた。
サウジアラビアのムハンマド皇太子の向こう見ずな手法は地域のライバルであるイランと競合するためには、イスラム世界の敵とも一部で認められているイスラエルとの同盟協力をも考えているかのようだ。いずれにせよサウジアラビアの強硬な対外政策は中東地域の重大な不安定ファクターとなり、ファフル・アッディーン2世の統治とは真逆にレバノンの宗派間の対立を煽っているかのようだ。
「殺人を犯したとか地上で悪いことをしたとかいう理由もないのに他人を殺す者は、人類すべてを殺すのと同等であり、他人を生かす者は人類すべてを生かすのと同等である」(コーラン5章32節)
アイキャッチ画像は https://www.pinterest.jp/pin/433330795380799722/ より

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