ペルシアの詩人ニザーミー(1141?~1209?)は嵐のような激しい恋の物語『ライラとマジュヌーン』の作者で知られる。この作品はペルシアの『ロミオとジュリエット』とも形容されている。

〈あなたを恋する心の炎も悲しみの洪水を堰きとめはせず、わが眼より溢るる涙も懊悩の火を消すことはできなかった。私を破滅させたのはこの炎と涙なのだ。世を照らす太陽さえ、わが胸の炎の叫びに燃え尽きるだろう〉 ニザーミー「ライラとマジュヌーン」

ニザーミーは、現アゼルバイジャンのギャンジャ出身の詩人で、「ライラとマジュヌーン」は悲恋物語だが、その原型となる物語はイランだけでなく、アラブ、トルコ、中央アジアなど中東イスラム地域で広く親しまれ、愛されてきた。
ライラが恋しくてたまらないマジュヌーンは、彼女の家の周辺を徘徊するようになるが、彼の狂恋を恐れてライラの家の者たちは彼女をかくまう。息子の様子を見かねてマジュヌーンの父はライラの父親に結婚を申し込むが拒絶される。息子の正気を取り戻すために、マジュヌーンの父はメッカのカアバ神殿に巡礼に行くが、効能はなく、息子は砂漠に身を隠してしまう。
他方、ライラは部族の平安のためにマジュヌーンとの恋をあきらめ、部族の名家出身であるイブンサラームのもとへ嫁ぐ。やがて年月を経て、イブンサラームが病で亡くなると、ライラはアラブの習慣に従って2年の間、喪に服したが、マジュヌーンへの恋心が再びもたげるようになる。しかし、天は彼女に罰を下すかのように、ライラは疱瘡によって亡くなる。
マジュヌーンは彼女の墓の前で次のような悲しい詩を捧げた。
〈おまえの運命は砂嵐のように乱れ狂い、おまえの生命は一滴の水のように深い井の底に呑まれてしまった。ああ、悲しき女(ひと)よ、天がおまえに与えたのは、月の孤独――九天の月よりもさらに恐ろしい孤独であった。だが、たとえおまえの姿が私から奪われようとも、ライラは私の心の中に在る〉
(岡田恵美子「『ライラとマジュヌーン』を廻って」(『オリエント』第24巻 第1号〔1981〕)

大きいですね
コメント