嵐のように激しいペルシアの恋の物語 -『ライラとマジュヌーン』

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Translation / 翻訳

 大型で非常に強い台風11号が日本に接近中だが、ペルシアの詩人ニザーミー(1141?~1209?)は嵐のように激しい恋の物語『ライラとマジュヌーン』の作者で知られる。この作品はペルシアの『ロミオとジュリエット』とも形容されている。

アマゾンより


〈あなたを恋する心の炎も悲しみの洪水を堰きとめはせず、わが眼より溢るる涙も懊悩の火を消すことはできなかった。私を破滅させたのはこの炎と涙なのだ。世を照らす太陽さえ、わが胸の炎の叫びに燃え尽きるだろう〉 ニザーミー「ライラとマジュヌーン」


 ニザーミーは、現アゼルバイジャンのギャンジャ出身の詩人で、「ライラとマジュヌーン」は悲恋物語だが、その原型となる物語はイランだけでなく、アラブ、トルコ、中央アジアなど中東イスラム地域で広く親しまれ、愛されてきた。

ニザーミーの墓(アゼルバイジャン・ギャンジャ)
大きいですね
https://www.tripadvisor.ru/Attraction_Review-g815350-d4701603-Reviews-Nizami_Ganjavi_Mausoleum-Ganja_Ganja_Gazakh_Region.html


 ライラが恋しくてたまらないマジュヌーンは、彼女の家の周辺を徘徊するようになるが、彼の狂恋を恐れてライラの家の者たちは彼女をかくまう。息子の様子を見かねてマジュヌーンの父はライラの父親に結婚を申し込むが拒絶される。息子の正気を取り戻すために、マジュヌーンの父はメッカのカアバ神殿に巡礼に行くが、効能はなく、息子は砂漠に身を隠してしまう。


 他方、ライラは部族の平安のためにマジュヌーンとの恋をあきらめ、部族の名家出身であるイブンサラームのもとへ嫁ぐ。やがて年月を経て、イブンサラームが病で亡くなると、ライラはアラブの習慣に従って2年の間、喪に服したが、マジュヌーンへの恋心が再びもたげるようになる。しかし、天は彼女に罰を下すかのように、ライラは疱瘡によって亡くなる。


 マジュヌーンは彼女の墓の前で次のような悲しい詩を捧げた。
〈おまえの運命は砂嵐のように乱れ狂い、おまえの生命は一滴の水のように深い井の底に呑まれてしまった。ああ、悲しき女(ひと)よ、天がおまえに与えたのは、月の孤独――九天の月よりもさらに恐ろしい孤独であった。だが、たとえおまえの姿が私から奪われようとも、ライラは私の心の中に在る〉
(岡田恵美子「『ライラとマジュヌーン』を廻って」(『オリエント』第24巻 第1号〔1981〕)

アイキャッチ画像はAytac Agacanova – winner of Miss Civilization Azerbaijan 2012 contest.
http://beauty-around.com/…/1159-krasivye-azerbajdzhanki

TBSドラマ
「青い鳥」より
夏川結衣
https://girlschannel.net/topics/2486525/

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