地理学者の小堀巌氏は、アルジェリアのサハラ砂漠に行く前には、すべて砂の沙漠ではないかと漠然と思っていたそうだが、しかし実際に訪れると、砂の沙漠は5分の1とか、6分の1という印象で、あとは岩の沙漠だった。だから「砂漠」は水が少ないという意味で「沙漠」と書くのが適当だと主張するようになった。

https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no12/05.html
1977年にケニア・ナイロビで「第1回沙漠化防止会議」が開かれてから、その目標がどれほど達成できたについては心もとない思いになり、ハイテク技術や海水の淡水化を考えるよりも、小堀氏は、途上国でも対応できるカナートのような技術のほうが砂漠化についてはむしろ有効ではないかと考えるようになった。その解答をアルジェリアの沙漠などを訪ねて得ることになった。
カナートは、アフガニスタンや中国・新疆ウイグル自治区では「カレーズ」、アルジェリアでは「フォガラ」、オマーンでは「ファラジ」と呼ばれ、国によって深さや全長は異なる。スペインや、南イタリアにも、シチリア島のパレルモ、ルーマニアにもカナートは存在するが、皆イラン発祥のものと考えられているが、大規模に用いられているのはイラン、アフガニスタン、中国だ。

日本の三重県鈴鹿市にも「マンボ」と呼ばれる小さなカナートがあるが、小堀氏は、これはイランからの伝来ではなく、日本独自の生活の知恵によって生まれたものだろうと述べている。

アケメネス朝時代のイランで生れたカナートは、農業の振興や居住地の拡大のために造られた。カナートは山麓部に掘った井戸にたまった水を、長い水道で運ぶ横井戸のことだ。イランではカナートによる潅漑が盛んだが、現在イランには3万本とも5万本ともいわれるカナートがある。カナートがいつ始まったのかは諸説があるが、少なくとも起源前700年代には、存在したことが確認されている。アケメネス朝時代に、カナートはイラン各地に広まっていった。ペルセポリスもこのカナートによって水を供給されていた。アケメネス朝の地方総督や将軍たちも農業を振興し、自らの経済的基盤を整えるために、カナートの建設に力を注いだ。
カナートは、イランなど砂漠の乾燥した地域では貴重な水源である。遠くから見ると、こんもり盛り上がった土の井戸が砂漠の中に連なっていて、まるで月のクレーターが一筋に伸びているかのようである。この時代、荒れ地や砂漠には悪神アーリマンや悪魔が住み着くと考えられ、潅漑によって緑の農地をもたらすことは善とみなされた。水や緑は砂漠の民にとって、天国の象徴ともいえるものだった。そのため、アケメネス朝の王たちも用水路を開設することに力を注ぎ、食糧を確保することに努めた。

地球温暖化によって砂漠化の進行が懸念されている。砂漠化が進行すれば、農地は減少し、食料問題を引き起こす。また緑地の減少は温室効果ガスの増加をもたらし、さらなる温暖化の原因となるという悪循環となる。国際社会は小堀氏の観察に従って、古代人の知恵に切実に検討するべきだろう。
コメント