至上の愛を訴え、ケネディ大統領やビートルズに影響を与えたレバノン出身の詩人ハリール・ジブラーン

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Translation / 翻訳

ハリール・ジブラーン『預言者』より
愛について
夜明けに目覚め 飛び立つ思いで 
愛の 新しい一日のために 感謝をささげること
昼下がりには 静かに安らぎ 愛の恍惚を思い出して 味わうこと
夕暮れには 感謝に満ちて 家路をたどること
そして 
心では 愛するひとのために 祈り 
唇では 賛美の歌を歌いながら 眠りにつくこと

アマゾンより


 ハリール・ジブラーン(1883~1933年)は、オスマン帝国山岳レバノン直轄県出身の詩人、画家、彫刻家で、主にアメリカで活動した。冒頭の『預言者』をはじめとするジブラーンの作品はケネディ大統領、ビートルズ、インディラ・ガンディー、さらにユセフ・ラティーフなどアメリカのジャズ・ミュージシャンなどに影響を与えた。『預言者』は1930年代に人気を集め、また1960年代の既存の文化や体制を否定するカウンター・カルチャーの時代に再びその人気のピークを迎えた。


 彼は作品の中で女性への抑圧に怒り、またクリスチャンだったことから教会の権威の濫用にも反発した。12歳でアメリカに渡り、その3年後に教育のためにレバノンに戻ったが、そこでオスマン帝国の農民に対する不義を目の当たりにして、オスマン帝国統治下の「自由」を強く訴えるようになった。
自由の無い人生は、魂の無い体のようなものだ ―ジブラーン


 ジブラーンは故郷レバノンの政治に関心を寄せ、抑圧に反対し、平和を促すエッセイや詩を書いた。1925年にジブラーンはレバノン議会に「新たなフロンティア」と題する公開書簡を送った。当時のレバノンはフランスの委任統治が始まって間もない時期だったものの、アラブの民族主義者たちは、フランスからの独立を考え、またドルーズ派の反乱や、クリスチャンやムスリムの宗派対立も見られていた。政情が不安定な時期だったが、ジブラーンはレバノンの政治家たちに公開書簡で「あなたは国があなたのために何ができるかを問う政治家だろうか、それともあなたが国のために何ができるかを尋ねる情熱をもった人間だろうか」と政治家たちに尋ねた。このフレーズがジョン・F・ケネディ大統領の1961年の就任演説の一節「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country(国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい)」に影響を与えたのではないかとジブラーンの研究者たちは考えている。ケネディ大統領はジブラーンと同様に抑圧や貧困の改善、平和のための闘争にアメリカ国民をはじめ世界の人々が参加することを訴えた。

「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」
https://www.youtube.com/watch?v=8GsLEmZTgFo


 ビートルズのジョン・レノンはジブラーンの箴言集「砂と泡」の1節をビートルズの曲 『ジュリア 』(1968年)の歌詞に引用している。


Half of what I say is meaningless
But I say it just to reach you, Julia
(俺の言うことの半分は無意味、だけどあなたに伝えるためだけに、ジュリア)
 ジブラーンの「砂と泡」の1説は下のようなものだ。
Half of what I say is meaningless; but I say it so that the other half may reach you
(私の言うことの半分は無意味、でも残り半分が君に届くように言う)


 ジブラーンの作品は愛の表現の中に、ウクライナ戦争など世界の混乱がある中で、ナショナリズムのような狭量な心情を戒めるかのように人々の感情を落ち着かせ、人間に本来ある純粋で、優しい感情を再確認させてくれている。

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