ボブ・ディランが愛したペルシア詩やイスラム神秘主義(スーフィズム)の世界は、テーマが「愛」や寛容、ヒューマニズムとなっている。ルーミーの詩には次のようなものがある
人助けや奉仕の心は、惜しむことなく、流れる川のように・・
情け深さと優しさは、太陽のように・・
慎み深さは、大地のように・・・
寛大な心は、海のように・・
ふたつにみえて世界はひとつ
そのはじまりもその終りもその外側もその内側もただひとつにつながる
そのひとつの息が人間に息(いのち)を吹き込んでいます
(エハン・デラヴィ・西元啓子 (編集), 愛知ソニア (翻訳)『スーフィーの賢者ルーミー―その友に出会う旅』より)
この詩に見られるように、ルーミーが説く普遍性は、個々の民族や宗教に限定されず、それらの相違や多様性を超えて広く人類に共通するものという意味であり、諸宗教はその本源に目覚めれば,その多様性にもかかわらず共通の地盤に立って理解し合えることをこの詩は訴えている。
正義は人生の指針たりとや?
さらば血に塗られたる戦場に
暗殺者の切尖(きっさき)に
なんの正義か宿れるや?
これは堀井梁歩(ほりい・りょうほ)が訳したオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』で、太宰治の『人間失格』にも引用されるが、1938年に出版された訳詩集『異本 留盃耶土(ルバイヤット)』に掲載されている。ハイヤームの普遍的な平和への感情を堀井はやや強い調子で訳しているが、現代にも通じる戦争や暴力の本質をついているかのようだ。『人間失格』の出版は1948年だから堀井の訳は日本でその評価が定着していたのだろう。

https://mantan-web.jp/article/20190912dog00m200086000c.html
堀井梁歩は1887年に秋田市に生まれ、自由主義の考えに共感し、森の中にこもって自給自足生活を送り、インドのガンジーにも影響を与えた作家ヘンリー・ソロー(1817~1860年)に傾倒した。堀井は、アメリカ留学後、秋田に戻って農場を経営し、新生農民運動を提唱した。1938年に亡くなっているから、『ルバイヤート』の翻訳は遺作ということになるのかもしれない。
みんな聖教をよみ違えてんのよ
でなきゃ常識も智慧もないのよ
生身の楽しみを禁じたり 酒を止めたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い

https://blog.goo.ne.jp/rubaiyat_2009/e/712fe1e505466b6c6a1e1613c81f089a?fbclid=IwAR0bVmJgXiwL–pg9sqKQoBp1guc02ITaEs9xHahCGBgYeNMhRhuU_AYf8A
これも堀井の訳で、やはり『人間失格』の中に引用される。堀井は詩と酒を愛したらしいが「この世は虚しい。だからせめて酒を飲み美姫を愛で、束の間の宴を楽しむとしよう。どうせすぐに土に還る定めなのだから」というハイヤームの世界は彼の生き方に通ずるものがあり、上の詩の訳は堀井の想いを強調したものかもしれない。「Well, I got the fever down in my pockets The Persian drunkard, he follows me(それでおれのポケットには熱があるペルシア人の酔っ払い やつが付きまとう」(ボブ・ディラン「絶対的に愛しいマリー」)とハイヤームを「ペルシア人の酔っ払い」と表現したボブ・ディランも堀井と同様な感情を抱いたに違いない。
参考:佐藤史緒「『異本 留盃耶土(ルバイヤット)』堀井梁歩」
ボブ・ディランの歌詞の訳は https://hrecords.jp/entry/absolutely_sweet_marie/ より アイキャッチ画像は堀井梁歩
https://shiosato.hatenablog.com/entry/2020/12/04/221455

https://www.hmv.co.jp/news/article/2003231043/
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