昨日、メルマガで中村哲医師のアフガニスタンへの貢献を含めて、米軍撤退後の日本のアフガニスタンへの関与はどうあるべきかを英文で書き、それをフェイスブック・ビジネスページで紹介したところ、アフガニスタンの人々の追悼のコメントや中村先生の思い出が多く書き込まれるようになった。アフガニスタンの人々の中村先生の業績に対する敬意や尊崇といった心情が実に幅広く、根強く定着していることをあらためて知る思いだ。
アメリカのアフガニスタンにおける20年間の戦争はほとんど何の成果をもたらさないまま米軍は8月に撤退していった。アメリカがつくった政府は、1990年代に武力で権力闘争に明け暮れ、社会に混乱をもたらした軍閥を寄せ集めたもので、腐敗で評判が悪く、アメリカはまたケシの栽培も根絶することができなかった。
他方、アフガニスタンの人々の自立支援を行った日本の中村先生やJICA(国際協力機構)の活動は、日本がアフガニスタンに軍事的に関与しなかったことと合わせて、日本の「平和力」としてアフガニスタンでは高く評価されることになった。

JICAは、アフガニスタンの治安状況がなかなか改善されない中、長年現地で活動し、現地の事情に精通する中村先生の現地NGO・PMS(ピース・ジャパン・メディカルサービス)の活動を貴重なものと考え、それとの連携を図るようになった。アフガニスタンの農民たちが工事を行い、灌漑設備の維持や管理をすることは、帰還難民や社会復帰した兵士の雇用拡大にも役立つことになる。灌漑された土地では年に2回の耕作が可能になるなど農民たちの生活改善にもつながった。
2018年にスイスのジュネーブで60カ国以上が参加して開催されたアフガニスタン支援閣僚級会合で、アフガニスタンのムハンマド・フマユーン・カユーミー財務相は、援助機関のプロジェクトは国外で主導されるものが大半で、プロジェクトが終了すると、持続しないものが多くあり、その意味でも現地の人々を動員し、現地の素材で蛇籠をつくるPMSの活動は非常に有意義だと語った。
同じ会合に出席したJICAの山田純一理事も、アフガニスタンの干ばつ対応能力の強化を目指した長期的な開発が重要だと語ったが、JICAは中村医師が活動していたナンガハール県で、稲作農業改善プロジェクトを実施し、それを他の8県にも拡大していった。JICAは、中村医師と同様にアフガニスタンでの農業開発を重視し、アフガニスタンから日本の大学に研修員を受け入れ、農業経済や稲作技術を学ぶ支援を行ってきた。
中村先生にお会いした時、先生は欧米のNGOは話題性のあるところに集中し、話題がなくなると容易に撤退してしまうのですと語っていたが、日本のアフガニスタンへの支援は安全を考慮しながら継続し、日本の「平和力」をいっそう訴えるものであってほしいと願っている。
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