瀬戸内寂聴さんが亡くなった。近年では東北被災地における説法の中で、「無常」を説き、被災者たちに「物事は流れていきます。いまがどん底と考えればこの状態も常ではなく、そこに希望が見出せます」と語ったり、安倍政権が推進した安全保障法制に街頭に出て反対の声を上げたことが強く印象に残っている。
2019年8月20日の朝日新聞に作家の瀬戸内寂聴の「下半身は?問われた寂聴さん 愛と平和とぎりぎりの半生」という記事が掲載されたことがある。

国会前で安全保障法制に抗議の声を上げる瀬戸内寂聴さん=2015年6月18日、東京都千代田区
記事のタイトルは出家に際して師僧となった作家の今東光氏が「お前さん、それで下半身はどうする?」と尋ねたというエピソードからだが、恋多き女性を慮ったものだろう。
記事で寂聴さんは「戦争を知らない政治家ばかりになった。戦争をしたら子どもや孫が引っ張り出される。その想像ができない。命ある限り、戦争の恐ろしさを伝えなければ」と語るが、政治家ばかりでなく、論壇でも徴兵制こそが平和を維持するなどと発言する国際政治学者がいるところを見ると、世の中全体から戦争に対する想像力が希薄になっているように思う。
日本が戦争に負けて正しい戦争だと信じてきた自分の愚かさを悟り、これが自身の「革命」だったという。

瀬戸内さんは、1991年の湾岸戦争では戦争に反対して釈迦の教えである「殺すなかれ、殺させるなかれ」という張り紙を寂庵(瀬戸内さんのお寺)に出し、8日間の断食をしてイラクに医薬品や牛乳などの支援物資を届けに行ったことがある。
瀬戸内さんは、「愛する人と別れること、愛する人が殺されること。それが戦争です」と語るが、戦争に行った愛する人の無事の帰還を祈ってペルシアの女性たちが涙を溜めた涙壺のエピソードを思い出した。

平和を希求する中で瀬戸内さんが口にするのは伝教大師・最澄の「忘己利他(もうこりた)」という言葉だが、「『もう懲りた』ではない」と冗談をいう中で、その言葉の意味を「自分の損得や幸せになりたい気持ちは置いておいて、他の人が幸せになって得をするように努めなさい」と説明する。アフガニスタンで活躍した中村哲医師などもこの「忘己利他」の実践者で、このような想いこそ平和を創造する力になると思う。徴兵制などではなく・・・。
コメント