新型コロナウィルスの感染は終息する気配がないが、医学や薬学についてもイスラム世界は中世では先駆的な存在であり、我々日本人も恩恵を受ける西欧医学・薬学の発展に貢献した。
アッバース朝(750~1258年)の首都バグダードの病院には医学校と図書館が併設されていた。当時は患者の世話をするだけのキリスト教世界とは違って、病院は患者の治癒を目指していた。9世紀、バクダードでは薬局も急速に増加するようになったが、第5代カリフ・マアムーン(在位813~833年)、ムウタスィム(在位:833~842年)の時代になると、薬局の営業には政府の許可が必要になるなど政府の管理がしっかり行われた。

https://muslimheritage.com/arabic-roots-of-medicine/
ムスリムの医師たちは、西欧世界では忘れられていたギリシア、ローマの医学書を翻訳し、イブン・スィーナー(980~1037年)は大著『医学典範』を著わし、医学の概念、身体の個々の器官と病気、その治癒法や薬剤などについて解説した。これは17世紀までヨーロッパで医学書として用いられた。アブー・バクル・ラーズィー(ラテン名:ラーゼス、864~925・32)は、バグダードの病院を運営し、小児病の研究に力を注ぎ、天然痘とはしかの違いについて解説した。アンダルスの外科医アル・ザフラウィー(936~1013年)は解剖の書を著わし、外科手術の器具を図説した最初の医学書で、12世紀にクレモナのジェラルドがラテン語に翻訳し、ヨーロッパでは5世紀にわたって用いられた。

https://www.jstage.jst.go.jp/…/25/1-2/25_1-2_255/_pdf
中国の薬用植物中心の本草学に加えてイスラム世界では錬金術の応用から薬用鉱物や、また牧畜・遊牧文化から薬用動物の開拓が行われた。イブン・スィーナーやラーズィーも彼らの医学書の中に本草の章を設けて、化学的な解説を行った。たとえば、ラーズィーは鹿角(炭酸カルシウムを含む)を歯磨き剤に用いることを提唱している。
薬学の分野で特筆すべきはアンダルスのマラガ出身のイブン・バイタール(1248年没)で、セビーリャで学んだ後に、東方に薬用植物の探索に出かけ、エジプト、パレスチナを含む広大な地域で植物、鉱物、動物から採れる薬品を採取して、それを主著である『薬事集成』に著わした。これは、アラビア語で本草学を扱った最大の書物とされ、1400種近くの薬をアルファベット順に解説した。彼はまたギリシアのディオスコリデス(90年没)の『薬物誌』の注釈も行った。

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こうして蓄積されたイスラム医学をヨーロッパに紹介した人物にチュニジア生まれのコンスタンティヌス・アフリカヌス(1020~1087年)がいる。彼はアラビア語の医学・薬学書をラテン語に訳し、西欧思想にも多大な影響を与えた。彼は当時ヨーロッパでは最も整備された医学校をもつイタリアのサレルノ大学で学び、モンテ・カッシーノ修道院で37冊のアラビア語の医学書をラテン語に翻訳した。彼の研究成果はヨーロッパに瞬く間に広がり、16世紀までヨーロッパ医学の教材とされた。
アイキャッチ画像はイタリア・サレルノ県アマルフィで
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