イスラムがイタリア・トスカーナ文化に与えた影響

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 10世紀から13世紀にかけてイタリア中部のトスカーナ地方は、イタリアにおけるイスラム文化普及の中心的役割を担った。トスカーナ女伯のマティルデ・ディ・カノッサ(1046~1115年)の 宮殿は、この地方の知的活動の中心として機能し、その蔵書はイスラム哲学や法学を多く含んでいた。ボローニャ大学の創始者と考えられる法学者のイルネリウス(1055~1130年)もこのトスカーナ女伯の下で研究を行っていた。

 トスカーナ地方の主要な都市ピサやパヴィアでも、市の重要な教会のファサードなどの装飾をイスラム世界でつくられた多くの陶器やガラスで行う場合があった。ピサのサン・マッテオ国立美術館には、イスラム世界で製造された陶器が少なからず展示されている。また、トスカーナ地方の中心フィレンツェのユダヤ教寺院「フローレンス・シナゴーグ」は、アラブ・ビザンツ帝国の影響が見られるムーア(北西アフリカのムスリムのこと)様式で、トラバーチンとピンクの石灰岩によって造られている。

 フィレンツェのバルジェロ美術館にはダマスク銅細工(「ダマスク」の名称は、中世初期に商業・貿易の大都市であったダマスカスに由来する)の展示品があるが、トスカーナでイスラム文化の影響を顕著に表わすのは、フィレンツェから南40キロにあるサンメッツァーノ城で、アラブ文化に通暁したスペインの貴族によって建てられた。この城は外観もムーア様式だが、一年間の日数と同じ365の部屋があり、それぞれが独自の名前をもっている。

バルジェロ博物館イスラム展示

 たとえば、「白の部屋」は、モロッコ様式のモザイクの床があり、「クジャクの部屋」は室内全体がアラブ様式になっている。また他にもアラブの幾何学文様が施されている部屋がいくつかある。サンメッツァーノ城は現在公開されていないが、特別公開の可能性があるという。

 フィレンツェの大富豪で、ルネサンスの芸術・学問の保護者であったメディチ家とオスマン帝国などイスラム世界との通商は、1400年代から始まったが、メディチ家などフィレンツェの富裕層は絨毯、イスラム・スペインの陶磁器、エナメル・ガラス、金属細工などイスラム世界の工芸・芸術の美、それをつくり出す職人芸を称賛していた。また、フィレンツェの商人たちはスペイン南部のイスラム王朝であるナスル朝(1232~1492年)とも活発に交流していた。さらに、フィレンツェとイスラム世界との通商を介してギリシアやアラブの数学や医学がアラビア語文献を通じてルネサンス期のイタリアに伝わった。

 フィレンツェなどヨーロッパ都市の文化を介したイスラム世界との交流の歴史やイスラム文化の底の深さを知ることは、ヨーロッパで「イスラム・フォビア」が台頭し、ヨーロッパにおけるイスラムの過去の記憶が希薄になる中で重要な意義をもっていることは間違いないだろう。

フィレンツェ・ドゥオーモ
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宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

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