ヨーロッパの病院システム創設に影響を与えたイスラム世界

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 病院は一般に中東ではペルシア語起源のビーマーリスターンなどと呼ばれるが、最初の記録に残る本格的な病院は805年にアッバース朝時代、第5代カリフ・ハールーン・ラシード(在位786~809年)時代にバグダードに建てられたもので、ジュンディシャープール(現在のイランのアフワーズあたり)で、医学校を代々開いていた宮廷医師のバフティシュ家がその発展に重要な役割を担った。

パリ最古の病院
キャンズヴァンの病院 (L’hôpital des Quinze-Vingts


 その後アラブ医学は、ギリシアやペルシアの医学の知識を採りいれてさらに進歩し、それに伴い各地に病院がつくられるようになった。982年にブワイフ朝(932~1062年)の君主アブドゥッダウラ(在位949~983年)がバグダードにつくった病院は、外科医、眼科医など専門別に24人の医師がいて、彼らは医学の講義も行っていた。さらに、1285年に完成したカイロのカラーウーン病院では、医師、薬剤師、看護士が数千人もの患者を受け入れ治療にあたっていた。

ドバイの看護士
https://www.pinterest.jp/pin/416231190538263346/


 イランのレイ(現在のテヘラン近郊)には、アル・ラーズィー(854~925年)を院長とする病院があったが、ラーズィーはヒッポクラテスやガレノスの医学理論を自らの診療体験で修正したものをまとめて『医学集成』として著わした。ラーズィーはエタノールを発見し、また脳とつながった神経が身体の各パーツや筋肉をコントロールしていることを発見した。


 十字軍からエルサレムを奪還したサラーフッディーン(サラディン、1138~93年)は、戦場で傷ついた十字軍の兵士たちをムスリムの軍隊の野戦病院に受け入れたが、そこには自らが愛する人と同様に、同じ関心と配慮で敵の世話をせよというアラブ・ムスリムの倫理があった。アラブ・ムスリムたちは、負傷者や病人を中立な状態でケアし、医療関係者には保護を与え、敵の戦士に対する看護+などはイスラム法でも整備されていた。
(Marcel A. Boisard, “On the Probable Influence of Islam on Western Public and International Law,” 29 January 2009, Int. J. Middle East Stud, n (1980), 429-450.)


 フランス・パリの最初の病院、キャンズヴァンの病院 (L’hôpital des Quinze-Vingts)は、フランス・カペー朝の王ルイ9世(在位1226~1270年)が1254年から60年にかけての十字軍遠征から帰還直後の1260年に建てられたが、十字軍の経験から先進的なイスラム世界の病院制度に影響を受けたとされている。その当時の国王は戴冠の際に病気を癒やす特別な力が神から与えられると信じられていたが、病人や貧民の救済を考えるなど国民に常に配慮して「聖王」とも形容されるルイ9世は国民の健康のためなら戦った相手からも知恵を得るという進取の精神をもっていた。その為政者の姿勢は、コロナ禍にある現在の政治家たちにも教訓を与えるものだろう。


アイキャッチ画像はル・シュウール作「病人たちをいやす聖ルイ」
http://www.kurata-wataru.com/ruin/jpg8/ruinb9ck.jpg

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