アメリカにムスリムがやってきたのは1600年代に遡り、後に合衆国になる地理的範囲に連れて来られた奴隷のうち、3分の1はムスリムであったが、奴隷たちは公の場でのイスラムの信仰を放棄することを余儀なくされた。
(Hussein Rashid, Hofstra University, “Muslim Voices in America: The Making of a Modern Music Scene”)
1940年代後半に西アフリカを訪問したジャズ・ドラマーのアート・ブレイキー(1919年~1990年)は、その訪問の理由を「生まれながらにして教会に行くしか選択肢がなかったが、白人のキリスト教を信仰することを望まなかった。世界の宗教に触れようと思ってアフリカを訪問したのだ。」と語っている。彼は西アフリカ訪問がドラムではなく、宗教やその哲学を学ぶためであったと回顧している。アート・ブレイキーにとってイスラムへの改宗は白人が支配する政治・社会に対する「反乱」でもあった。1940年代は、エルハッジ・マリク・エル・シャッバーズ(マルコムX、1925年~65年)がイスラムに改宗した時代であり、公民権運動にもイスラムが重要な影響を与えるようになっていた。

アート・ブレイキーは、40年代の後半にイスラムに改宗して、ムスリム名をアブドゥラ・イブン・ブハイナという。他に1950年代から60年代にかけて活躍したムスリムのジャズ・ミュージシャンたちにアーマッド・ジャマル(ピアニスト)、ユセフ・ラティーフ(マルチプレイヤー)、ケニー・ドーハム(トランペット奏者、ムスリム名:アブドゥル・ハミド)らがいる。

彼らが影響を受けたイスラムは1889年に北インドで創始されたアフマディーヤの教えで、アフマディーヤは1920年代以降アメリカで信徒を増やしていった。アフマディーヤは、「ジハード」の意味を、武力を伴う戦いではなく、精神的な努力に限定する。アフマディーヤは創始者のミールザー・グラーム・アフマド(1935~1908年)がマフディー(救世主)を自称することなどによって、イスラム世界では異端視する傾向が一部ではあるが、人間のあらゆる事象における平和を尊重し、教育、寛容、慈善活動を重視する。アフマディーヤ平和賞も設けられ、2016年には核兵器禁止を訴えるサーロー節子さんが受賞した。

アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのメンバーたちの多くがアフマディーヤの信徒たちだが、メッセンジャーズという名前自体に、神(アッラー)の教えを普及しようとしたイスラムの宗教精神に通底するものがあるという説もある。
アート・ブレイキーは、1961年に来日した時、日本人のファンが一緒に写真を撮ってくれと申し出ると、「僕は黒人だが、本当に一緒に撮りたいのか」と尋ねたという。日本のジャズファンには彼に対する敬意があったが、アメリカでは人種差別の撤廃を求める公民権運動が高揚していた時期であり、黒人に対する差別が強く意識されていた。彼は離日する前に「我々を人間として迎えてくれたのは、アフリカと日本だけだ」と語っている。
アイキャッチ画像はアート・ブレイキー
https://morrisonhotelgallery.com/products/Art-Blakey-Paris-France-1958-mLE7Og?fbclid=IwAR3IXOatpm0kJHS7VLekQH4qubpWrGj–j14-E7unJu1cUN6_fJfRffYeEk
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