アイルランドのレオ・バラッカー副首相(元首相、在任2017年~20年)は、2021年5月のイスラエルのガザ攻撃について次のように述べた。
「併合、追放、植民、市民の殺害、故意の、あるいは付随的な損害など21世紀の民主国家のすべきことではない。このように国家がふるまうことはまったく受け入れられるものではない。」
この発言は、現在のイスラエルとパレスチナの緊張の背景を端的に捉えている。イスラエルは東エルサレムのシェイク・ジェラ地区を併合しようとし、パレスチナ住民の追放と、その後のイスラエル人の植民を考え、ガザでは戦闘機を用いて市民を殺害し、また占領地であるヨルダン川西岸でもデモを制圧する中で死傷者を出した。

アイルランド議会の中では、人種主義の政策を行う政府の代表であるイスラエル大使を追放すべきだという声も上がった。アイルランドのパレスチナへの共感は、アイルランドが1649年のクロムウェルの植民地化から1931年の完全独立までイングランドの植民地として置かれ、植民地時代に餓死で人口の半数が消失したと見積もられるジャガイモ飢饉など苦難の歴史があったことと関連する。
アイルランドの著名な作家シーン・Ó・ファオラン(1900~1991年)は、1948年にアイルランドがイギリスによってユダヤ人の民族郷土にされてしまったら、アイルランド人の怒りは察するに余りあると述べた。
アイルランドは、1948年10月に教皇ピウス12世がエルサレムとその近郊を国際管理下に置くことを呼びかけると、この構想に従って、1963年までイスラエルの国家承認をすることがなかった。1967年の第三次中東戦争で多数のパレスチナ難民が発生すると、1969年にアイルランド議会でフランク・エイケン外相は、パレスチナ難民の問題を解決することがアイルランドにとって最も緊急の課題であると述べた。アイルランドはパレスチナ難民の帰還なしに中東の平和はあり得ないという立場をとり続けている。1980年2月にアイルランドは、EU加盟国で最初にパレスチナ国家創設を呼びかけた。また、EUの中では最も遅く1993年12月になってようやくイスラエル大使館の国内での設置を認めた。
アイルランドのパレスチナ支持は継続し、2000年に始まる第二次インティファーダ(蜂起)の時期もパレスチナに対する支持を強く訴え、ブライアン・カウエン外相(後の首相)は、パレスチナ自治政府のアラファト議長と面会し、アラファト議長を民族自決の希望のシンボルと形容し、議長の功績や、パレスチナ解放運動における粘り強さや根気を称えた。1980年代にはIRAとPLOは「一つの闘争」というスローガンを掲げていたが、IRAの政治部門のシンフェイン党のスポークスマンであるジョン・ブラディ氏は、21年5月10日に他の政党にも呼び掛けて、イスラエル政府のパレスチナ人に対する措置はアイルランド人には受け入れ難いというメッセージをアイルランド議会は送るべきだと訴えた。
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