「人道主義は正義を目的とする。正義は真の意味での平等、自由を欲し、不正義に対する真の審判である。」
これは日本の作家の長与善郎(1881~1961年)の言葉だが、正義から逸脱すれば、人道主義も実現できない。ロシアのウクライナ侵攻自体が不正義だから人道主義の前提がそもそも成り立たないことになる。


https://todays-list.com/i/?q=/%E9%95%B7%E4%B8%8E%E5%96%84%E9%83%8E/1/1/
ロシア軍がウクライナ南部のマリウポリの劇場を空爆したことが伝えられた。マリウポリ市当局によれば、ここには数百人の民間人が避難していたそうだ。もし事実だとすれば、民間人が避難している場所を攻撃することは国際人道法からも見てもまったく不正義であり、人道主義と相容れるものではまったくない。
勢力圏の絶対性を信じるプーチン大統領はロシアという自民族中心主義にとらわれている、その考えは彼がウクライナから排除すると主張しているナチスのイデオロギーとまったく同様だが、ウクライナの民族性をロシアが抑圧しようとすればするほど、その民族性は強固なものになることは間違いない。
ウクライナには1918年から20年までロシア支配を離れて独立していた時期があった。ウクライナ人民共和国政府はロシア革命によって打倒された帝政ロシア政権と平和条約を結んだが、それに応じてドイツとオーストリアの中央同盟諸国はウクライナに進軍して、赤軍を駆逐した。
1918年にドイツ軍が敗戦すると、ウクライナの民族主義に訴えるジャーナリストのシモン・ペトリューラ(1879~1926年)が指導するウクライナ軍は1918年12月にキエフを掌握したが、キエフは1919年2月に赤軍によって再占領された。キエフは1919年8月の1カ月にも満たない間、また1920年5月から6月にかけてペトリューラのウクライナ軍に制圧されるなど、キエフ対する支配は、ウクライナとロシアの間で目まぐるしく変わったが、1920年6月に赤軍がウクライナを再占領すると、1922年12月にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国は、ロシア、ベラルーシとともにソ連邦を形成することになった。

ウクライナの民族主義者
ウィキペディアより
レーニンはウクライナ語をロシア語と同等の地位を与えるなど、ウクライナの民族アイデンティティを尊重したが、スターリンはソ連の強烈な中央集権化政策を追求し、ウクライナ人民共和国を支持していた知識人たちを抑圧し裁判にかけ、またウクライナ語の使用も制限するようになった。
ウクライナの人々がロシア支配を嫌うのは、スターリン時代の1932年から33年に発生した大飢饉、「ホロドモール」の記憶にもよる。この飢饉では、最低でも300万人のウクライナ人が餓死したと見られている。スターリンのソ連中央政府はウクライナ人たちの食料を強制的に徴発し、種子や家畜、農地を奪っていった。

https://www.banger.jp/movie/40963/
ウクライナはソ連の中の社会主義共和国として、そのウクライナの歴史、言語などの民族性を意識しながら発展し、ロシアとの距離は大きくなっていったが、プーチン大統領のロシアはウクライナを軍事的に制圧し、ロシアとウクライナの一体性を強く訴えているが、ウクライナの人々の民族的希求は武力で封じることは到底できない。
アイキャッチ画像は
東京・渋谷で
ウクライナ人女性
https://www.asahi.com/ajw/articles/14559080
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