アラブ世界では広島の原爆投下と日本の戦後復興が強く意識されている。(今日のメルマガをご覧になってください。https://miyataosamu.jp/hiroshima-among-arab/ )
パレスチナを代表する詩人のマフムード・ダルウィーシュ(1941~2008年)は、1974年に広島を訪れた際に、「(平和)記念館には殺した者の名前を示すものは何も無かった、『太平洋の基地から,この方向に爆撃機はやってきた。』これは共謀なのか追従なのだろうか。」「ヒロシマの問題は全世界の人々の心の奥深く突き刺さったままだ.この残虐の代価を負ったのはヒロシマの人々だが、それは全人類が負った代価だと言える。」という言葉を残している。
その来日の際に作家の野間宏が池田修訳のダルウィーシュの「パレスチナの恋人」という詩を紹介した。「君のまなざしは 心のとげとなって私を苦しめる」。「君」とはパレスチナのことで、パレスチナ国家創設への彼の切なる心情が吐露されている。(小泉純一「ダルウィーシュが見つめた広島」2017年7月22日)

アラブ人との和平を求めるイスラエルの平和活動家のハギト・ラーナン氏は、「平和の文化を生きる」という独自の教育プログラムをつくりあげ、それをユダヤ人の学校やイスラエルに住むアラブ人の学校で実践してきたが、その中で千羽鶴を折ることで佐々木禎子さんの想いを子供たちと共有し、世界の子どもたちが平和で、安全な環境の中で暮らすことを願ってきた。

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フランスの核実験場となったアルジェリアの核技術学会のアンマール・マンスーリ会長は2008年8月に広島を訪れ、「被爆者運動の経験を教えてほしい。ヒロシマは同じ戦いを続ける仲間だ。」と述べた。アルジェリアではフランスがサハラ砂漠で17回の核実験が行われ、そのうち11回はアルジェリア独立戦争の和平協定であるエビアン協定が1962年に結ばれてから行われた。今年2月にアルジェリア軍の幹部であるブジド・ブーフリワ(Bouzid Boufrioua)はフランスが核実験が行われてから60年が経過するのに、いまだに核廃棄物の位置を示す地図の提供を拒んでいると批判し、フランスは核実験に歴史的責任を負わなければならないと述べた。ブーフリワ将軍は、現在でも環境破壊が残り、現地住民たちが被害を受けたことを強調している。核兵器禁止条約は、核兵器保有国に過去の過ちを正すように求めたものだが、フランスは核兵器禁止条約に署名していないことを指摘した。
アイキャッチ画像はマフムード・ダルウィーシュ博物館で

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