日本人「カカムラ(中村哲医師)」の遺産と「ふるさとアフガニスタンを思う歌」

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 映画監督、ジャーナリストの新田義貴さんの2021年9月16日付ツイートに、「タリバンの検問所で、町のバザールで、兵士も市民も僕たちが日本人だと分かると『カカムラ、カカムラ』と言って笑顔になり心を開いてくれた。」とあった。中村哲医師の活動によってタリバンをはじめとするアフガン人たちが日本人に心を開いてくれているのだ。米軍がテロに遭いながら慌ただしく撤退したのを見るにつけ、国民の安全保障は米軍のように軍事力に訴えるものだけではないことをあらためて教えてくれる。

 21年9月15日付「毎日新聞」で「『タリバンのアフガン』への支援 中村哲医師の志継ぐには」という記事があった。その中で田中真紀子元外相は、2001年11月にパキスタンのアフガン人難民キャンプを訪問した時のことを回想している。女性の外務大臣の訪問には、タリバンに女性の役割や活動を制限されていたアフガニスタンの少女たちは驚いたようで、田中元外相が文房具やスポーツ用品を贈ると、少女たちは貧しくてお返しするものがないのでと言って野草の小さい花束を渡してくれたという。

 田中さんは女の子たちが「ふるさとアフガニスタンを思う歌」を歌ってくれたとことが印象に残ったようだ。「ふるさとアフガニスタンを思う歌」は、調べてみたところ「サルザミーネ・マン(私のふるさと)」という歌ではないかと思った。

 この歌は1998年にアフガニスタンの内戦を逃れて難民となった歌手ダウード・サルホシュが作ったもので、タリバン政権復活で国外に逃れるアフガニスタンの難民たちによっても盛んに歌われた。あたかも新しいアフガニスタンの国歌という形容もあるほどだ。

私は家を失い、あちこちとさまよってきました。

ふるさとよ、あなたがいなければ、私はいつも悲しみと肩を並べてきました

私のふるさと、私の唯一の愛、私の存在・・・私はあなた以外のどこにも住むことができません/彼らはあなたの宝物を盗んで自分自身を豊かにしました/誰もがあなたの心を壊しました。

 難民になる人々の無念と、私利私欲しか考えない指導者たちの祖国への裏切りに対する憤りが表現されているようだ。2004年にダルヤー・ダードヴァルによって歌われた動画は下にあるが、切ない郷愁の想いが表現されている。

 

 毎日新聞の記事の中で田中元外相は「日本はどう向き合うのか、困窮する人々のために何をするか、今すぐに国会を開いて議論すべきなのに、自民党総裁選で内向きのパワーゲームばかりしている。」と述べ、また最近中村哲医師の発言や業績をまとめた「哲さんの声が聞こえる 中村哲医師が見たアフガンの光」(合同出版)を出版した歌手の加藤登紀子さんは、「外からの尺度を持ち込まないことが大事」と述べている。

 アメリカはアフガニスタンの在米資産1兆円を凍結し、タリバン政権に対する事実上の経済制裁を行っている。制裁は弱い国民たちを最も苦しめることになる。

 日本の国際協力NGO「ジョイセフ」がアフガニスタンに贈った7000個のランドセルがタリバン政権によって受け取られ、アフガニスタンの学校で配布されることになった。ジョイセフの関係者は、「タリバンの政権にかわったからこそ、女の子も男の子と同じように学ぶことができるというメッセージを届けて支援していかなければいけない。」と述べている。このジョイセフの関係者の発言のように、タリバンを現実路線に変えていくのは国際社会からのメッセージであり、日本もその輪の中に継続して加わっていかなければならないだろう。

日本から寄付されたランドセルを背負うアフガニスタンの子供たち
https://www.joicfp.or.jp/jpn/2019/12/05/44792/

アイキャッチ画像は

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211208/k10013377861000.html より

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