スペインの詩人ロルカに影響を与えたペルシアの抒情詩

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Translation / 翻訳

 スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(1898~1936年)は、イスラム世界・ペルシアのガザル(短い形式の抒情詩)に強い影響を受けていた。

ロルカの詩に導かれ、常盤貴子がスペインへ!
https://thetv.jp/news/detail/37601/189624/


 ロルカは、ファシズムに傾倒する右翼活動家に殺害される直前に詩集を残したが、そこには特にペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤームやハーフェズへの強い傾倒が見られた。ロルカの最初の出版物は19歳の時の「オマル・ハイヤーム批評」で、グラナダ大学の芸術学部の紀要に掲載されたが、その時は「アブドゥッラー」というペンネームを使っている。「アブドゥッラー」はスペインのイスラム最後の王朝で、グラナダを首都としたナスル朝の最後の君主アブー・アブドゥッラー・ムハンマド11世(スペイン語でボアブディル)の名前からとったものだ。それほどロルカにはアンダルシアのイスラム・文化への懐旧の想いがあった。


望みとは悲しみを取りさる事。
心が赴くところに
悪魔が去ったその後を
天使が満たしてくれるだろう。
剣をふりかざす者はシャベヤルダの闇
だが、それもつかの間、
光は太陽とともにやってくる。
恋する小鳥よ、生き長らえよ、
やがて庭は緑に
赤い薔薇が咲き乱れるまで。
―ハーフェズ (「シャベヤルダ」はペルシア文化圏で一年のうち最も長い夜のことを指す)

天本英世のロルカ
http://nekonojimusyo.blog.fc2.com/blog-entry-211.html?sp


 ロルカの詩は、日本では俳優の天本英世氏が好んで朗読していたが、ハーフェズのガザルにはインドの詩人タゴール(1861~1941年)も深く影響され、タゴールはハーフェズを「同じターバンの友達」と形容していた。ロルカの死後1940年に出版された詩集は『タマリット・ディーヴァン(ペルシア語で「詩集」)』というタイトルだった。タマリットはグラナダ近くにある農園・邸宅の名前でロルカは晩年好んで暮らしていた。この詩集でロルカは、彼のイスラム・スペイン(アンダルス)文化への関心や愛好を綴り、自らを「アンダルシアの詩人」と呼んでいた。1930年代のスペインにはアンダルス文化、特に文学分野での復興に広範な関心があった。ロルカはイスラム教徒やユダヤ人を追放した1492年のレコンキスタの完成をスペインにとっては大きな損失と形容していた。


 ロルカの『タマリット詩集』の中に下のような詩があるが、「カシーダ」はアラブやペルシア、トルコに見られる詩型の一つで、長い詩の場合は「長詩」とも訳される。


黒い鳩のカシーダ


月桂樹の枝のうえに
二羽の 闇のように黒い鳩が見えた。
一羽は太陽、
もう一羽は月だった。
「お隣さんたち」、僕は声をかけた、
「僕は どこに葬られるの?」
太陽は言った、「私のしっぽに」。
月は言った、「私ののどに」。
そのあと僕は 歩いていった
腰のところまで 泥に埋まりながら
そして二羽の 雪のように白い鷲と
裸の少女に出会った。
一羽は もう一羽と同じで、
少女は ぬけがらだった。
「鷲さんたち」、僕は声をかけた、
「僕は どこに葬られるの?」
太陽は言った、「私のしっぽに」。
月は言った、「私ののどに」。
月桂樹の枝のほうに
二羽の 裸の鳩がみえた。
一羽は もう一羽と同じで
二羽の鳩とも ぬけがらだった
(平井うらら 訳)

アイキャッチ画像はフェデリコ・ガルシーア・ロルカ

フェデリコ・ガルシア・ロルカ 子どもの心をもった詩人 | イアン・ギブソン, ハビエル・サバラ, 平井うらら
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