『ゴルゴ13』が警鐘を鳴らした「武器商人」と、高倉健が称賛したイラン映画

日本語記事
スポンサーリンク
Translation / 翻訳

 さいとう・たかを氏の『ゴルゴ13』は世界で最も発行巻数が多い漫画シリーズだ。さいとう・たかを氏はイラン革命の指導者ホメイニ師は偽物だと『ゴルゴ13』の中で書いたらイラン政府関係者から抗議がきたこともあったそうで、いかに広く読まれているかがうかがえるエピソードだ。

 『ゴルゴ13』は同時代の国際情勢を伝える内容ともなっているが、現代中東についても本質的な問題について切り込んでいる。昨年1月17日付の「じんぶん堂」で拙著『黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル』(平凡社新書)が紹介されているが、その中でも『ゴルゴ13』について触れられている。
https://book.asahi.com/jinbun/article/13033976

 紹介されているのは、米国レーガン政権時代の米国・サウジアラビア関係だが、ザルマン王子(架空の人物だが)の発言として「我が国が昨年、米国政府より購入した兵器の総数は55億ドル! 他を圧する世界一の購入国であります! その半分を、フランス、西ドイツにふり向けると通告しただけでレーガンの首は危うくなります……。」というものだった。この構造は現在でも変化なく継続している。

『ゴルゴ13』第58巻(「110度の狙点」、1983年2月発表)

 サウジアラビアは2015年3月からイエメン空爆を始めたが、空爆開始後イエメンでは23万人の人々が犠牲になり、2400万人が人道支援を必要とし、1300万人が飢餓状態にある。特に40万人以上の子供たちが餓死寸前という状態だ。国連もイエメンは世界最大の人道危機にあると危機感を表明しているが、そんな中でも英米など欧米諸国はサルマン国王(ザルマンではない)のサウジアラビアに武器を売却し続けている。『ゴルゴ13』で紹介されたレーガン政権時代の軍産複合体がサウジアラビアに武器を売却し、それが中東の紛争をいっそう悲惨なものにするという構造は現在でも変化がない。

『ゴルゴ13』第58巻(「110度の狙点」、1983年2月発表)

 サウジアラビアのイエメンの空爆は橋や道路など社会経済インフラ、病院、市場などを破壊している。米国のトランプ前大統領は就任早々の2017年5月にサウジアラビアを訪問し、12兆円にも相当する武器売却を露骨に誇ったが、日ごろ人権を擁護する姿勢を強調するイギリスもまたサウジアラビアが国際人道法に抵触するようなことはないと主張しながら武器を継続して売却している。バイデン政権は2021年2月にサウジアラビアに対する武器売却を一時凍結したが、しかし、イギリスはサウジアラビアに対する武器売却を継続しながら、2021年から22年にかけてイエメンに対する人道支援予算を前年から半分以上削減することを明らかにした。イギリスは、国連の場などでイエメン和平を実現する必要を訴えながら、市民をも犠牲にする空爆に必要な空中給油システムもサウジアラビアに売却するという矛盾する姿勢を見せている。

サウジアラビアへの武器売却停止を
https://caat.org.uk/news/arms-sales-back-in-court/

 映画「ゴルゴ13」(1973年)は高倉健主演でイランがロケ地となっている。イラン人俳優たちの声は日本人声優たちの吹き替えで今ではめずらしいスタイルとなっている。革命前の王政時代のイラン社会の様子も知ることができ、そういう意味では貴重な歴史的資料ともいえる。高倉健はイラン映画「運動靴と赤い金魚」(1997年)を見て、貧しいながらも他者のことを思いやる子供たちの姿を見て、戦後の日本が忘れたものがあると絶賛していた。サウジアラビアに武器を売却する欧米諸国はそれとは真逆に、金持ちが戦争の犠牲になる貧しい人々のことを考慮しないで金儲けのことしか考えないエゴ剥き出しの姿勢を見せている。


 高倉さんは自身のエッセイ『旅の途中で』(新潮社、2005年)の中で、イラン映画の「運動靴と金魚」(1997年)を評価し、以下のように書いている。文章からは彼の人柄の優しさが伝わるともに、いまの日本人が傾聴すべきメッセージを送っている。

本当に、童話のような映画なんですが、
この監督が世に問いかけていることこそ、
これが文化だな、と僕は思ったんです。
経済的に貧しいから、ひたむきに、一生懸命に生きている親の背中を、
子どもは絶えず見ている。
物語の途中で、自分の持ち去られた靴を妹が見つけるんです。
実は、妹よりもッと小さいクラスの子が履いていたんですね。
学校でその子が履いているのを見つけて、跡を尾けて行き、家も突き止める。
妹はお兄ちゃんを連れて、
あそこの子が自分の靴を履いていると話して聞かせ、二人で見張っていると、
おじいさんとその小さな子が出てくるんです。
その時、靴を拾っていったおじいさんが盲目だということを兄弟が知るんですね。
街角で見ていた二人は、そこで文句をひとことも言わない。
自分たちよりももっと貧しい人にその靴がいったんだからいいや、
とでもいうように。
ここの画(シーン)は台詞もなにもないんですが、
当たり前のように兄妹は納得して、
ひとことも咎めないで、すごすごと引き返していく。
この映像がとっても優しいんです。
ああ、この優しさが、経済優先で、戦後五十年間、
一生懸命走ってきた我が国が失ってきたものなのかなと、
僕はとっても強く思いました。
思わずポロッと気持ちのいい涙が出るほど、素晴らしい映画でした。
物欲まみれになっている国の人々に、
経済的に豊かなことと、心が豊かであることがこんなに違うんだ、
ということを、とても控えめに静かに伝えてくるこの映画は、
本当に素晴らしいと思いました。
この作品を観ていると、経済的に貧しいほうがかえって、
家族や人に対する優しさ、自分たちを育てるために、
毎日骨身を削って働いてくれている父や母に対する思い、
そういう絆みたいなものが壊れないのではないか、
そんな気さえしました。
自分の五体をきしませて。
足の豆が破れてもマラソンで走って、
妹のために運動靴を取ってやりたいと願う。
今、この日本の国にそんな若い人たちが、
どのくらいいるのでしょうか。
世紀の区切りに、とても凄い映画だと思いました。

イラン映画「運動靴と赤い金魚」
日本語記事
miyataosamuをフォローする
Follow by E-mail / ブログをメールでフォロー

If you want to follow this blog, enter your e-mail address and click the Follow button.
メールアドレスを入力してフォローすることで、新着記事のお知らせを受取れるようになります。

スポンサーリンク
宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

コメント

タイトルとURLをコピーしました