スーダンの内戦はスーダン軍トップのアブドルファタハ・ブルハン氏と、準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」のモハメド・ハムダン・ダガロ司令官の権力闘争で、二人ともスーダン内政の主導権の獲得を目指している。スーダンの民主化の理想とはほど遠い性格の内戦だ。この個人的な権力闘争の内戦で死ぬ大義を兵士たちは決して見出すことはできないだろう。兵士たちはまさに生活のために戦闘に加わっていて、戦闘を行っている両勢力は、経済的困難に直面する多くのスーダン国民とは異なって希少資源の売買などで経済的に潤ってきた。ダガロ司令官は金の採掘や湾岸諸国に兵士を供給することで私腹を肥やしてきた。国軍はこうしたダガロ司令官のもつ経済的特権をはく奪し、自らのものにしたい意向で、内戦には経済的利権をめぐる争いという側面もある。

内戦で最も迷惑を被るのは市民たちだが、戦闘に耐える市民たちの姿はスペイン内戦で共和国側に寄り添ったフランスの詩人ポール・エリュアールの「ゲルニカ」の詩や文章の一節を思い起こさせる。
「火にも耐えた顔 寒さにも耐えた顔
手荒い仕打ちにも夜にも耐えた顔
侮辱にも殴打にも すべてに耐えた顔たち
いまあなた方を定着させているのは空虚(うつろ)さだ
いけにえとなった 哀れな顔たち
あなた方の死は 模範となるだろう
ゲルニカ。それはビスカヤの小さな町だが、バスク地方の由緒ある古都である。そこにバスクの伝統と自由を象徴する樫の木がそびえていた。だがいまやゲルニカは、ただ歴史的な、涙をそそる思い出の地でしかない。ゲルニカのひとたちはつつましやかな庶民だ。かれらはずっとむかしから自分の町で暮らしている。ほんのひと握りの金持ちとたくさんの貧乏人とで、暮らしは成りたっている。かれらはじぶんの子供を愛している。暮らしは、ささやかな幸福と、明日を思いわずらう、大きな心配苦労から成りたっている。明日も食わなければならないし、明日も生きなければならない。だからきょうは希望を抱き、きょうは働くのだ。」大島博光訳

https://www.yomiuri.co.jp/world/20220206-OYT1T50149/
イスラムで霊魂観が定着するのは、ギリシア哲学を移入した後であり、プラトンと新プラトン主義の肉体否定的な考えであり、霊魂こそが人間の本質であり、生きている間は肉体という「牢獄」によって囚われており、死後本来の存在場所である天上界に復帰する。しかし、多くのイスラムの哲学者が踏襲したのはアリストテレスの霊魂観であり、生きている間に思惟能力(知力、倫理的な力)を発達させた場合、霊魂は肉体から解放されて至福の状態を得るが、そうでない場合は苦悩の状態に置かれる(『岩波イスラーム辞典』より)プーチン氏も苦悩の状態に置かれるだろう。
歴史家の上原專禄氏は、此岸(しがん:この世)における審判の主体として永存する死者もあるとした。そのような死者の例として上原が挙げているのは広島・長崎やアウシュビッツにおける虐殺の犠牲者であり、現在生きている者たちは死者の媒体となって、死者の審判を現世に活かしていかなければならないと説く。死者となったスーダンの人々は軍事指導者たちをどう裁くだろうか。
人生が大変で辛いとき
友達もみつからないようなとき
激流に掛かる橋のように
僕が君の支えになるから
激流に掛かる橋のように
僕が君を助けるから
サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」より
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