フランツ・カフカのシオニズム批判

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 イスラエルでは、昨年11月1日に総選挙が行われ、イスラエルでは3年半の間に実に5回の総選挙が行われた。イスラエルは少数政党が乱立する比例代表制で、多数にわたる総選挙はイスラエル政治がいっこうに安定していないことを表している。


 選挙前、イスラエルのオルメルト元首相は、イスラエルの安全保障にとってネタニヤフ元首相や「ユダヤの力(オツマ・イェフディート)」のイタマル・ベン・グヴィール党首(1976年生まれ)が政権を掌握することは、イスラエルの安全保障にとってイランの核兵器よりも脅威であると述べた。結局、ネタニヤフ首相の政権の復活となり、極右勢力が入閣した。


 ネタニヤフ首相のリクードは旧約聖書に登場する古代ユダヤ=イスラエル王国の最大版図を意味する「エレツ・イスラエル」を支配する大イスラエル主義を訴える政党だし、与党となった「ユダヤの力」はイスラエルや占領地からパレスチナ人を排除するユダヤ人の人種主義に基づく極右政党で、これらの政党の政権掌握はパレスチナ人にとってまったく好ましくない事態をもたらしている。オルメルト元首相は、ネタニヤフ元首相がイラン核合意の破綻をもたらし、イランを核兵器製造に近づけたと批判してきた。


 フランツ・カフカ(1883~1924年)は、オーストリア・ハンガリー帝国のボヘミアの首都プラハに、ドイツ・ユダヤ系商人の息子として生まれた。1930年代にはヨーロッパのユダヤ・キリスト教信仰の喪失による混迷をその作品の中に表現した。日本では小品の『判決』(1913)『変身』(1915)、長編の『審判』(1925)などがよく知られている。


 カフカは当初シオニズムに傾倒していたと見られているが、しかしのちにユダヤ教への本当の信仰に欠いたシオニズムは本末転倒のように思われた。1916年9月16日の書簡でシオニストたちを批判して「私は、教会堂(シナゴーグ)に行こうとは思いません。教会堂はこっそり入ればすむ場所ではありません。子どものときにできなかったことが、今できるはずがありません。シオニズムのためだけにユダヤ教会堂に押しかける連中は、静かに普通の入口から入るのではなく、契約の聖櫃の後から、聖櫃にかこつけてむりやり中へ入ろうとしているように思えます。」と書いた。(新田誠吾「カフカの『二つの動物物語』」)

パリの反テロリズム行進に参加するネタニヤフ元首相
参加する資格などないのでは?
2015年11月
https://time.com/3662782/paris-rally-march-charlie-hebdo/


 カフカにとってはシオニストの主張するパレスチナ移住はアラブ人という先住民族を抑圧し、彼らの生み出す利益を貪る「寄生虫的な生活」をもたらし、ユダヤ人たちが新しい離散生活を繰り返すことに他ならなかった。


 実際にカフカが考えた通り、イスラエルではパレスチナ人への抑圧や、ネタニヤフ元首相などの極右勢力の台頭に辟易として、ヨーロッパへの移住を考える人も少なからず現れるようになった。他方、ヨーロッパでも極右の台頭とともに、ヨーロッパのユダヤ人の中にはイスラエルにセカンドハウスを購入する人々が増えている。ヨーロッパで迫害を受けるユダヤ人たちにとってイスラエルはいまだに避難所になっているかのようだ。ヨーロッパでも、またイスラエルでもユダヤ人たちに安全な場が提供されないことは、カフカが生きた時代のように、ナショナリズム台頭による穏健なユダヤ・キリスト教価値観の喪失がもたらすヨーロッパ・システムの欠陥をいまだに見るようだ。

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