2021年3月2日、フランスのマクロン大統領は、アルジェリアの民族主義者アリー・ブーメンジェル氏(1919年~57年)の死が従来言われていた自殺ではなく、1957年3月23日に拷問死したことをブーメンジェル氏の孫たちの前で認めた。拷問死した後にブーメンジェル氏の遺体は、建物の6階から放り投げられ、「自殺」に偽装された。独立戦争時のアルジェの情報機関のトップ・ポール・オサレス大将は、およそ2000人の拷問死を自殺に偽装したことを認めている。
マクロン大統領は、ブーメンジェル氏の闘争と勇気はアルジェリアとフランスの精神として永遠に記憶され、彼は、不正と植民地システムに対して闘ったと述べたが、マクロン大統領はフランスのアルジェリア支配については「悔い改めも謝罪もしない」と21年初に述べている。ブーメンジェル氏の遺族、特に20年に亡くなった夫人は彼の死の真相が明らかにされることをずっと求めていた。
アルジェリアはフランスの植民地ではなく、直轄領土とされていたが、旧支配地域・植民地に謝罪しないフランスの姿勢はアルジェリアなどからは「傲慢」なものに見えるに違いない。昨日、紹介したファシズムもそうだが、人類が繰り返してはならないのは、フランスやイギリスが行ったような帝国主義支配もまた同様だ。謝罪しないフランスの姿勢は、フランス国内でムスリム移民たちが疎外されていることもあってテロなど暴力の背景にもなる。
アルジェリアなど北アフリカは、1789年のフランス革命後、共和政を支えたことを現在のフランス人の多くは知らないか、意識することはないだろう。
テルミドール9日のクーデター (Coup d’état of 9 Thermidor) (1794年7月27日)直後に外務省員から公安委員会に寄せられた書簡では、チュニスのベイ(太守)を指してアフリカの専制君主はヨーロッパの専制君主よりも価値があると書いている。さらに、1794年にリヨン解放市に宛てられたある商人の書簡では、コメは手に入らないけれども、クスクス(北アフリカの食べ物)は口にすることができると書かれている。フランス革命後、アルジェリアのデイ(太守、オスマン帝国から委任されてアルジェリアを支配)のハッサン・パシャは、フランス共和制に寛大な姿勢を見せ、革命後のフランスに穀物を供給し続けた。フランスはアルジェリアに債務を負ったが、それを帳消しにする目的もフランスのアルジェリア支配にあったと見られている。そもそもフランス革命が発生した要因には民衆の間にパンが著しく欠乏していたということもあり、北アフリカが供給する穀物はフランスにとって死活的重要性があった。(UNA MCILVENNA , “How Bread Shortages Helped Ignite the French Revolution,” SEP 30, 2019)
日本では、60年安保闘争と重なって当時の作家・知識人はアルジェリア独立戦争に大きな関心と共感をもって見ていて、独立戦争を担うFLN(民族解放戦線)を支持・支援した淡徳三郎はアルジェリア情勢の啓蒙書を次々と出版し、東京にFLNの臨時代表部を置くことに尽力した。また、長谷川四郎はフランス軍の拷問の実体を告発したアンリ・アレグの『尋問』(1958年)をフランスでの発表後、間髪入れずに翻訳した。堀田善衛は長編小説『スフィンクス』の中で戦後カイロに住み、ムスリムになった奥田八作の考えを次のように表している。

¥1,500
著者
淡徳三郎 著
出版社
青木書店青木新書
刊行年
1962年
ページ数
239p
サイズ
18cm
「植民地主義、帝国主義が一掃される日などは、いったいいつになったら来るのか、名目だけの独立などは、なんの熱病にも値しないというのが奥田の意見であった。また彼は、遠く遙かな繁栄する日本にのうのうと暮らしていながら、何が“アジア・アフリカ”だと思っていた。」

https://www.stanforddaily.com/…/10/28/battle-of-algiers-2/
その後、ベトナム戦争、ソ連軍のアフガニスタン侵攻、イラク戦争、ロシアのシリア空爆、中国のウイグル・香港支配など、アジア・アフリカの植民地主義、帝国主義は一掃されていないように見える。フランスのように、反省がなければ、またこれらの「主義」の過ちは繰り返されるだろう。
アイキャッチ画像はアルジェリアのモデル
Myriam Benzerga
コメント