アフガニスタンで支援活動を行っていた中村哲医師は、人が満足な食物を口にできないことが紛争や暴力、あるいは社会的混乱の原因や背景となることをアフガニスタンでの実践や、その体験の中から語っていた。
「三度の食事が得られること、自分のふるさとで家族仲良く暮らせること、この二つを叶えてやれば、戦はなくなると言います。私ではなくて、アフガニスタンの人々の言葉です。十人が十人、口をそろえて。」(「ペシャワール会 中村哲医師に聞く。共に生きるための憲法と人道支援 <前編>」May.03.2017)
http://sealdspost.com/archives/5388/2
ロシアのウクライナ侵攻で世界の食料事情が悪化することが懸念されるようになっている。
第一次世界大戦開戦当初、ドイツは主食の小麦の3割、また家畜の飼料用の大麦の半分近くを輸入に頼り、しかも第一次世界大戦で敵国となったロシアは小麦では第2位の輸入元、大麦は第1位だった。また、後に開戦することになるアメリカは小麦では第1位、大麦では第2位の輸入元であった。第一次世界大戦末期になると、ドイツでは国民の間に飢餓が広まり、飢えをしのぐためにカブラを多くの国民が口にするようになったことから「カブラ飢饉」とも呼ばれるようになった。(藤原辰史 『レクチャー 第一次世界大戦を考える カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』人文書院、2011年)

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ヒトラーは『続・わが闘争』の中で「今なぜ食料難なのかといえば、わが民族が今日使用できる土地全体が狭く、不十分すぎるゆえに生じた結果なのだ」だと述べた。ドイツでは19世紀以降、スラブ人たちが住んでいる地域にドイツの領土を拡大するという「東方への衝動」という考えがあったが、これがヒトラーによる対ソ戦争のイデオロギー的背景となり、ドイツが占領した地域にドイツ人を入植させ、ドイツ本国に穀物やジャガイモなどを移出させることを構想した。

https://toyokeizai.net/articles/-/585820
エジプトのシシ大統領は5月21日、エジプトで食料価格が上昇していることについて、預言者ムハンマドがメッカ(マッカ)で迫害されていた3年の間、木の葉を食べていたことを引き合いに出した。預言者ムハンマドはメッカでの迫害を逃れてメディナに移住していくのだが(聖遷〔ヒジュラ〕)、この聖遷の前の3年間がムハンマドにとっては最も困難な時期であったとされている。シシ大統領は、預言者の教友たちは預言者に食物や水を求めることもしなかったと指摘、エジプト国民は食料事情について文句を言ってはならないと述べた。シシ大統領の発言はエジプトで食料やエネルギー価格が上昇し、その危機がロシアのウクライナ侵攻でいっそう深刻になっていることを物語っている。

https://www.madamasr.com/en/2022/03/21/news/economy/egypt-fixes-prices-for-unsubsidized-bread-as-inflation-spikes-amid-war-in-ukraine/?fbclid=IwAR1XAyonHMg-Dh114rQWNaUapnJsh9Ho9QPVAjGqdQZHlCRzL3xzpdEqY2E
ロシアのウクライナ侵攻で、農地で戦車が走り回ったり、また農地に砲弾が着弾したりする戦場と化したために、戦争が終わってもウクライナの農業生産が回復するまでにしばらく時間がかかることだろう。中東・北アフリカのイスラム系諸国はウクライナやロシアに小麦など穀物の大部分を頼っていて、深刻な政治・社会危機が発生することも考えられる。
日本では食料が戦争の背景となってきたという歴史が教えられることは希薄だった。日本は昭和初期に人口は9700万人に達し、旧満州国から年間70万トンの大豆を移入するようになるなど海外植民地は日本にとって死活的意味をもっていた。
戦争の背景となる要因に対する正確な理解や知識は、戦争を予防するためにも必要なことだが、平和や戦争の背景として食料問題があることを、日本をはじめ国際社会は理解しなければならない。中村哲医師のように食の獲得のための協力を行うという姿勢がなければ、世界は「東方の衝動」のような時代に逆戻りしたり、一国内での食の奪い合いという事態になったりしかねない。
アイキャッチ画像は https://kurume-kyodo.jp/2021/05/03/event2021_pms06/?fbclid=IwAR3UtjmRvNvpaWjj87VyBuZxl4I26c73hSVsnNpy5X1pbNFhdAjGr9Vcsas より
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