12月23日付の『Middle East Eye』に「Seven female icons who helped define the Arab world(アラブ世界を定義するのに役立った7つの女性像)」という記事が載った。
その7人とは、以下の人々が挙げられている。
- モロッコ・フェズにある世界最古の大学(ユネスコやギネスの認定)であるカラウィーイーン大学を創設したファーティマ・アル・フィフリー(Fatima al-Fihri、800~880年)
- エジプトの核物理学者で、カイロ大学初の女性教員となったサミーラ・ムーサ(Sameera Moussa、1917~1952年)
- 日本の国立競技場の設計で話題となったイラク出身の建築家ザハー・ハディード(1950~2016年)
- アラブ世界の女性解放運動を担ったレバノンの作家のアンバラ・サラーム・ハーリディ(Anbara Salam Khalidi、1897~1986年)
- 1250年に短期間ながらもエジプト・マムルーク朝の女性支配者となったシャジャル・アル・ドゥッル(Shajar al-Durr, Sultana of Egypt、?~1257年)
- 女性のスーフィで、「イスラムの聖女」とも形容されるラービア・アダウィーヤ(Rabi’a Adawiyya、713~801年)
- 現代レバノンの女性歌手で、「アラブの歌姫」と形容されるファイルーズ(Fairouz、1935年生まれ)

いずれも、女性の社会的役割が限定されるアラブ世界で特筆すべき活躍をした人たちで、最後のファイルーズは、アラブ・イスラエル紛争や、レバノン内戦などに関わる歌を歌っている。アラブ・イスラエル紛争といえば、核物理学者のサミーラ・ムーサは、1952年にアメリカ旅行中に交通事故したが、その背後にイスラエルの情報機関モサドの暗躍があったと見られている。
ジャーナリストの重信メイさんはファイルーズの歌について「彼女の歌には、大好きな歌は数多くあるが、中でも、「Zahrat Al Madaa ‘in(街の中の花)」は、特に好きな曲だ。パレスチナとエルサレムに祈りを捧げられた曲で、ファイルーズがその地にある、モスクや教会のために歌い、(自身の)祖国の復興を願っている。おそらく、日本の美空ひばりのように、ファイルーズは、苦境と絶望の時代でも、人々に夢と喜びを与えていたのだ。」と述べている。

「街の中の花」の詞は、
「エルサレムは祈りの街
素晴らしいふるさと、街の中の花よ
毎日、私は自分の目をエルサレムに注ぐ
人はモスクの回廊を歩き、
モスクから悲しみを取り去る
人々が天に旅立ったイスラ―(預言者ムハンマドが天馬に乗りメッカからエルサレムを旅した奇跡)
私の目はエルサレムに注がれ、私は祈る」
というもので始まり、最後は「エルサレムは我々のふるさと、我々のもの、
我々の手の中で、エルサレムの壮麗さを祝うだろう」と終っている。

ファイルーズを描いたドキュメント映画『愛しきベイルート/アラブの歌姫』では、レバノンの人々からは「彼女の歌を聴くと、祖国を感じる」「拘束中にラジオで必ず彼女の曲を聞いた」「彼女の影響でレバノンへの愛が強まった」などの発言が紹介され、アラブの声や想いを代弁した曲を歌い、その歌声で人々を魅了したファイルーズのレバノン、あるいはアラブ世界での存在の大きさをうかがわせている。
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