2019年4月15日に消失したフランス・パリのノートルダム大聖堂は、国際コンペによって新たな姿に生まれ変わるという構想もマクロン大統領などにはあったが、結局20年7月に元の姿に戻すことになった。1年が経過した20年4月15日には聖堂の鐘が鳴り響いてその存在感をあらためてアピールし、また8月初めには巨大なオルガンの修復作業が始まるなど着々と再建が進むようになった。

https://dianadarke.com/…/syrian-secrets-rising-from…/
ノートルダム大聖堂はゴシック様式のキリスト教の聖堂だが、ゴシック様式の建築物の起源は、実は中東地域にある。ノートルダム大聖堂のツインタワー、尖頭アーチ、バラ窓などの様式は元々中東にあったものだ。中世ヨーロッパでステンドグラスが盛んになったが、そのガラスの材料は中東から輸入され、また色つきガラスは、イスラム建築では7世紀から重要な構成要素であり、それは、すでに現存する中ではイスラム最古の建築とされるエルサレムの「岩のドーム」にも見られ、そのガラスは太陽と月をイメージした。
テンプル騎士団(1119年にエルサレムで設立され、中世ヨーロッパで12世紀から14世紀まで活動した騎士修道会)は、最初の十字軍後に、ステンドグラスを含めた「岩のドーム」の建築様式をヨーロッパにもち帰り、それがヨーロッパで流行していくことになる。
イスラムとヨーロッパでは不断の交流があり、17世紀の終わりまでにイギリスとトルコのオスマン帝国との経済交流は、イギリスと海外との商業活動の4分の1を占めるようになり、エリザベス朝時代(1558年11月から1603年3月)のロンドンには、トルコ人の仕立屋や靴の修繕屋、ボタン作り職人や、さらには弁護士までいた。
ゴシック様式とは、実はゴート人(東ゲルマンの一族)が担っていたのではなく、その起源に影響を与えたのはヨーロッパで「サラセン人」と呼ばれたイスラム教徒だった。シリアで生まれたイスラムの建築様式は、十字軍などを通じてヨーロッパに普及していった。
スペインではウマイヤ朝をはじめとするサラセン人たちが7世紀から1492年にまで支配と行い、スペインに豊かな文化をもたらしたが、現在スペインでは、イスラムの文化遺産はあまり強調されることなく、コルドバのモスク(メスキータ)のミナレット(尖塔)もキリスト教会の鐘楼となっている。また、ヨーロッパ商業の中心であったイタリアのベニスやアマルフィは、イスラム文化のヨーロッパへの入り口となり、アマルフィ大聖堂の外壁の白と黒のモザイク模様、また尖頭アーチは、シリアの建築文化の影響とされる。

https://www.livesalerno.com/amalfi-cathedral

スペイン・コルドヴァ
メスキータ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Interior_de_columnes_de_la_Mesquita_de_C%C3%B2rdova.jpg?fbclid=IwAR3RzhZ-Sai9LHNhqbZxuhIhqiPTnpp2eTcZvVt6L6GaRYosdh6g2TdTB4Y
建築を通してもヨーロッパとイスラム世界は豊かな文化の交流があったことをうかがわせているが、近年のヨーロッパにおけるイスラム移民・難民排斥の動きやそれに伴う極右の台頭、またイスラム世界の側でも過激主義の台頭があって両方の世界の交流を停滞させ、さらにシリア内戦で実際にヨーロッパに影響を与えた建築物の数々に触れることができないのは残念だ。
アイキャッチ画像はノートルダム大聖堂
https://www.notredamedeparis.fr/…/la-facade-occidentale/
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