イスラムのエコロジー ~アンダルシア~

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Translation / 翻訳

 緑の色はイスラムの「楽園」のイメージと結びつく。コーラン18章31節に「楽園の住人は絹や錦の緑の衣を着て・・・」とある。砂漠の民にとってはオアシスの樹木の葉の色である緑は憧憬をもって受け止められるだろう。

 イスラムの聖典であるコーランには、「天国にはこんこんと湧き出る泉のほとり、緑したたる木陰で、うるわしい乙女にかしずかれ、たくさんのおいしい食物や酒や飲み物を心ゆくまで味わい、なんの気遣いもない生活を送る(平凡社『新イスラム事典』、352頁)とある。

 緑とともに水も楽園のイメージと重なり、噴水もまたイスラム建築には欠くことができないものだった。イスラム世界ではモスク、浴場、病院、隊商宿(キャラバンサライ)、また個人の邸宅や宮殿に好んで噴水が設けられた。

 イスラム建築で有名な噴水はスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿のもので、周辺の山岳地帯から水を取り入れ、涼やかな水を噴き上げる方式はイランに起源をもつとされる。部屋の内部にまで水盤や噴水を設置するのは、イスラム建築独特の様式であり、イスラムは「イスラムは大変寛容な政策をとり(改宗を強制しないなど)、ローマ時代の遺跡を有効に活用した。」「砂漠の民にとっては、水は最高の贅沢であり、二つの川の源泉近いところから,長大な導水路を山腹に作り込んで、モーターも何も無い時代にこの宮殿内と庭園との、数々の噴水がしつらえていた」。(堀田善衛)

「イスラム教徒は、例えば、グラナダのアルハンブラ宮殿に典型的に見られるように、水を扱うことにかけてはまことに天才的な技術者であった」-堀田善衛『スペイン断章』

ムスリムたちが科学や芸術などとともにイベリア半島にもたらしたのは農業生産性を高めることになった灌漑システムだ。イベリア半島に移住したムスリムたちは地下水路をつくり、水の蒸発を防ぐためにイランで生まれたカナート、北アフリカではフォッガラと呼ばれる地下水路をつくり始めた。

カナートは山麓部に母井戸を掘り、その水を横穴式の長いトンネルを通す水路で農村やオアシス都市部にまで導き、農業や飲料用に用いるものだ。

 イスラム世界が西方に拡大にするにつれて農業や灌漑の方式や技術も普及するようになる。アンダルス(イスラム・スペイン)を支配するようになったムスリムたちにはシリア出身者が多く、彼らにとってアンダルスの気候、地形、水などの自然条件がシリアに似通っていたのは好都合なことだった。それゆえ、灌漑システムの技術・管理がシリアから移転されたとしても不思議ではなかった。ムスリムの灌漑技術によって水がふんだんに使用されるサトウキビ、オレンジなどの柑橘類やアンズ、綿花の栽培、また稲作も可能になった。

 スペインからカナートの技術はメキシコ、ペルー、チリなどアメリカ大陸に移転された。メキシコでは多くの地方でカナートが建設され、スペインのフランシスコ会修道士アントニオ・ゼブタは庭園や噴水もなかったメキシコ・グアダラハラの水不足を解消するために、1731年にグアダラハラに招かれた。このように、ムスリムが伝えたカナートの技術は世界の多くの地域の農業生産を高めることに貢献した。

 また、イスラム世界では衛生を保ち、体を浄めるために浴場(ハンマーム)がつくられていたが、イベリア半島に渡ったムスリムたちはローマの公衆浴場の伝統を引き継いだ。ムスリムが盛んに浴場を設けた時代、西ヨーロッパではローマの風呂の伝統は忘れられていた。900年までにヨーロッパ最大の都市になったコルドバには300の公衆浴場があったとされている。

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