一昨年8月にタリバンが政権奪取後のアフガニスタンの社会経済が安定しない。一つには、欧米の価値観に合わないタリバン政権に対して、アメリカ・バイデン政権がアフガニスタンの資産の凍結を全面的に解除しないことがある。バイデン政権とすれば、アメリカが支えていた体制がタリバンによって壊されたというメンツの問題もあるだろう。しかし、実質的な経済制裁措置で最も苦しむのはタリバンではなく、アフガン国民だ。
1990年代、中村哲医師は、タリバンは治安維持と、慣習法の徹底を約束して、軍閥同士の内戦で治安を喪失していたアフガニスタンに治安回復をもたらしたと『医者、用水路を拓く』の中で書いている。昨年8月の政権奪取も長老たちの広範な支持がなければ実現できなかっただろう。アメリカは自由と民主主義をアフガニスタンに根付かせるといって戦争を行ったが、慣習法の伝統が根強いところに、いきなり自由とか、民主主義をと言われても人々は馴染むことは到底できない。中村医師の『医者、用水路を拓く』には、911の同時多発テロにアフガニスタンにやって来た世界各国(特に欧米)のNGOは、男女平等の徹底などを論じ、人々の失笑を買っていることを知らなかったとも書かれてある。
中村医師は「西日本新聞」に連載した「新ガリバー旅行記」(9)の中でブルカ着用をはじめとする女性政策はタリバンの発明ではなく、タリバンは保守的な農村の慣習法と都市の貧困層の生活習慣を社会全体に適用しようとしていたと語っている。中村医師は1978年に人民民主党政権時代に強制されようとした女性のブルカ廃止と識字教育に対して農村の女性たちが激しい抗議活動を展開したことを紹介している。ペシャワール会の村上優会長も女性の人権も大切だが、生存権が守られることのほうが大事だと述べている。
https://kokocara.pal-system.co.jp/2022/01/31/nakamuratetsu/
19日のNHKニュースで「タリバン復権半年 女子教育再開せず 国際社会批判強める」というものがあった。このニューの中で紹介されていたのは、欧米流の教育を受け、経済的にも比較的豊かに暮らしていた人々に見え、アフガニスタンの多数派の女性たちの考えを反映しているとは思えなかった。NHKのニュースでインタビューを受けていた教育のある女性たちはアフガニスタン社会全体から見れば、半分にも遠く及ばないだろう。この場合の「国際社会」は「欧米」と置き換えたほうが適切だと思う。それに教育が再開できないのは、学校を運営するだけの資金が不足しているということもある。

アニメーション映画『ブレッドウィナー』(原題: The Breadwinner)(2017年)は、2001年の同時多発テロ直後のアフガニスタンで露天商として生きる少女を描いたものだが、アイルランド人のノラ・トゥーミー監督は、「タリバンがアフガン人に歓迎されたとしたら、彼らが政権に就くまでにアフガン人が耐えた痛みや苦しみについて考えなければならない。」と述べている。(トゥーミー監督の発言は「The Asahi Shimbun GLOBE」2019年12月23日より)ならば、アメリカなど現在のアフガニスタンの混迷に責任をもつ国はなぜ彼らが昨年8月に政権に復帰した時に人々に支持されたのかについて考えをめぐらさなければならないだろう。女性について欧米と同じ価値観を共有していないからと言って、アフガニスタンの資産を凍結するのはアフガニスタンの伝統的価値観への配慮や敬意に欠く。
アメリカがつくった政府は腐敗、汚職などの失政で評判が悪く、またアメリカも空爆などでアフガン人の犠牲を多くもたらした。アフガニスタンの農村社会を見て回れば、チャードル(顔だけ出して全身を覆うもの)やブルカを着用する女性のほうが圧倒的に多いというか、ほぼ全員と言ってよいほどだ。地方社会に行くと、女性の姿を見ることはほとんどない。トゥーミー監督も「イスラムは女性を差別するという論法はヨーロッパ社会を分断し、極右の台頭を招く」と語っているが、日本人や日本社会に求められるのは欧米からの情報に偏らない公平な見方で、またアフガン支援についても欧米的な視点に幻惑されることがあってはならない。
アイキャッチ画像はメルカリより
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