アフガニスタンで用水路建設など人道支援活動を行った中村哲医師は2019年12月にアフガニスタン東部の都市ジャララバードで「パキスタン・タリバン運動(TTP)」のメンバーによって銃撃されて亡くなった。アフガニスタンでタリバンの関係者たちに会った時も彼らは中村先生の業績を評価していたし、中村医師もタリバン支配時代のほうが治安状況ははるかによかったと言っていた。アフガニスタンのタリバンとTTPとは異なる組織で、アフガニスタンのタリバンはアフガニスタンでのイスラム統治を目指すが、TTPは主にパキスタンの部族地域で活動する犯罪者集団だ。TTPに政治目標があるとすれば、アフガニスタンの部族地域のイスラム化で、TTPがパキスタン社会全体を覆うほどの運動になるとは思えない。
人が飢えているところに爆弾を落として何になるんですかと言っておられたのを思い出す。爆弾を落として暴力を制圧するよりも中村先生の活動のほうがはるかに平和創造に役立つだろう。下は2013年に書いた記事である。

http://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000034495.html
第61回菊池寛賞(日本文学振興会主催)は、アフガニスタンで人道支援を続けるペシャワール会の現地代表の中村哲医師が受賞した。中村医師は30年間にわたってアフガニスタン難民の医療救援活動、井戸や水路の復旧・建設などアフガニスタン農業の復興に力を注いでいた。
あるテレビ番組で、中村医師と一緒になったことがあるが、その際、彼は1989年にソ連軍が撤退すると、アフガニスタンでは諸外国のNGO(非政府組織)が集まり支援活動を開始したが、湾岸戦争によって欧米人がテロの標的になることが伝えられると、欧米のNGO組織はあっという間にアフガニスタンから撤退していったと語っていた。NGOの活動は話題性のあるところに集中するが、関心がなくなると、一挙に活動自体が引いてしまう。この番組が終了すると、中村医師は「福岡では同時多発テロに拍手を送るムードがあったのです。私の親族も米軍の空襲で亡くなっています」と話していた。米軍の空爆で家族や親族を失う人の心情を、中村医師の発言からもうかがい知る思いだった。

2012年9月にアフガニスタン・カンダハルを訪ねた時に彼への高い評価を口にする人は多かった。密かに会ったタリバンの司令官も中村医師の活動を評価し、この日本人の偉業を称えていた。
中村医師は、欧米の援助団体は、アフガニスタンを支援するとはいいながらも、彼らの視線は上から目線で、アフガニスタン人を見下したところがあると語っていたが、対等にアフガニスタン人と接しながら地道な努力を続ける日本人の姿勢は現地の人々から共感や信頼を得られている。

1990年代、アフガニスタンの内戦が激化したのは国際社会から忘れられた国になったことが要因として大きかった。米軍がアフガニスタンから撤退すれば再び同様の道をたどることが懸念されている。

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中村医師の伯父は作家の火野葦平、祖父にはその小説「花と龍」の主人公のモデルになった玉井金五郎がいる。義侠の家系の出身でもある。
中村医師は「堰は一日にしてならず。人は老い、政権や国際情勢は変わるが、河は変わらない。河の水に頼る人里の生活も変わらない。人間の慌ただしい騒ぎで振り回されるのは、もう沢山だ。我々は河に尋き、天と自然の摂理に従う。」と語っていた。
(ペシャワール会Hp 「中村医師からの報告」)
https://ikejiriseiji.jp/砂漠に蘇る%EF%BD%A2農%EF%BD%A3と%EF%BD%A2いのち%EF%BD%A3%E3%80%80%EF%BD%9E中村哲医師講/
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