「信仰」とは、いわば希望の最たるもの。
希望の中の希望だ ―― これを通じて、
ひとは「救い」を得るのだから。―ルーミー (西田今日子訳)
アフガニスタンで人道支援活動を行った中村哲医師はクリスチャンだったが、用水路とともに、イスラムの寺院であるモスクやマドラサも建設した。長年の内戦や、アメリカとタリバンの戦争でモスクなど宗教施設は破壊されていて機能していなかった。中村医師がモスクやマドラサを建設すると、「解放された」と語るアフガニスタンの人もいた。「信仰」の活動が復活することによって現地アフガニスタンの人々は「希望」をもつことができた。

http://www.peshawar-pms.com/site/20100108-2_index.html
中村医師は、アフガニスタンで活動をする上で宗教(イスラム)を大切にしたことを「マガジン9条」のインタビューの中で次のように語っている。
「そうですね。アフガンの人たちは、親日感情がとても強いですしね。それに、我々は宗教というものを、大切にしてきましたから。
おおむね、狙われたのはイスラム教というものに無理解な活動、例えば、女性の権利を主張するための女性平等プログラムだとか。現地でそんなことをすると、まず女性が嫌がるんです。キリスト教の宣教でやっているんじゃないか、と思われたりして。」
http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php
中村医師は、欧米の支援活動が成功しなかったのは優越感をもって遅れた宗教や習慣を是正してやろうという思い上がりが現地の反発を招いたことを指摘し、それは“帝国主義的”とも中村医師は形容している。今またイランのヒジャーブ(スカーフ)をめぐって欧米では同様な見方が広がっているような気がしてならない。政治的抑圧の下に置かれたイランの女性と連帯するのは良いが、欧米ではスカーフを破ったり、焼いたりヒジャーブそのものを否定する動きになっているように見え、イスラムを上から見ているようだ。

http://www.peshawar-pms.com/site/20100108-2_index.html
アフガニスタンのイスラムはスーフィズムという日本では「イスラム神秘主義」と訳される信仰がおよそ60%と多数を占める。アフガニスタン・バルフ近郊出身のスーフィズム詩人ルーミーも中村医師の活動を形容するかのように、人助けや寛容の精神を詩作の中に表した。
人助けや奉仕の心は、惜しむことなく、流れる川のように・・
情け深さと優しさは、太陽のように・・
他人の落ち度や秘密には、夜のように・・
苛立ちや怒りには、死人のように・・
慎み深さは、大地のように・・・
寛大な心は、海のように・・
自分に忠実に生きるか、もしくは、見た目通りの人間になりなさい
https://plaza.rakuten.co.jp/vijay/17000/

中村哲医師の「誰もいかねば、行く 誰もやらねば、する」/Dr. Tetsu Nakamura “If nobody goes, go. If nobody does, do.”https://miyataosamu.jp/nakamura-if-nobody-goes-go-if-nobody-does-do/?fbclid=IwAR1EikLQFyk82O5KSNYnfSNeCNufWSpn45oWsed-g3EtAo-qhmLAPtsrANc
クリスチャンの中村哲医師はイスラムのアフガニスタンの人々の人道支援を行ったが、ルーミーは次のようにも述べている。
「多くのインド人がいて、言葉は通じるが、心が通じないのではたがいに他人同士である。多くのインド人とトルコ人がいて、言葉は通じなくとも心が通じれば、たがいに分かりあうことができる。“舌の言葉”よりも“心の言葉”である」
中村医師はこのルーミーのように、“心の言葉”を大切にしたからこそ宗教が異なるアフガニスタンの人々に受け入れられ、敬愛されたのだと思う。その40年に近いアフガニスタンでの活動で宗教を超えた寛容や共存の手本を世界に示した。
アイキャッチ画像は
建設を手がけたモスクと神学校の前に立つ中村哲さん。現地の子どもたちの話になると笑顔を見せたという=2010年1月、アフガニスタン・ジャララバード、西谷文和さん撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20200124002130.html より
コメント