「民主主義サミット」 ー民主主義を育成してこなかったアメリカ

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Translation / 翻訳

 アメリカは、民主的に選出されたイランのモサッデグ政権を、CIAを使って崩壊させ、国王(シャー)の独裁体制をもたらした。冷戦の環境下、共産党の活動を容認するようなモサッデグの民主主義よりも国王独裁体制のほうがアメリカにとっては都合がよかった。(アメリカのモサッデグ政権打倒の事情については今日のメルマガ『「民主主義サミット」とイランの民主主義を崩壊させた米国』をご覧頂ければと思います。)イランでは、国王の弾圧、貧富の格差の拡大など政治や社会の矛盾に対する反発が1979年の革命で頂点に達した。

Filmarks『アルゴ
イラン革命を描く

 チリでは、CIAは1973年にアジェンデ政権を打倒するクーデターを画策し、ピノチェト独裁政権に道を開いた。ピノチェトは17年間統治を行い、その統治の下で3、200人の人々が殺害されるか、行方不明となった。ピノチェト政権時代下では、拷問は日常茶飯事となり、28、000人が拷問による取り調べを受けたとされる。

 ベトナム戦争の際にアメリカが支えた南ベトナムのグエン・ヴァン・チュー政権も腐敗していて、無能で、また経済的にも南ベトナムは失業やインフレが深刻で、軍隊からも大量の脱走者が現れ始めた。ニクソン大統領の後継となったフォード大統領は南ベトナムに対する軍事支援の増強を議会に要請したが、議会がこれに応ずることはなかった。軍事的に劣勢となって1975年4月21日にグエン・ヴァン・チューは台湾に逃亡し、4月30日にサイゴンの南ベトナム政府は無条件で降伏した。

Filmarks『地獄の黙示録』 (1979)

 こうした南ベトナム政府の崩壊プロセスは、今年8月のアフガニスタン・ガニ政権の崩壊のそれと酷似していることに容易に気づく。アメリカは、アフガニスタンに自由と民主主義をもたらすと言って軍事介入を行い、新体制をつくったが、アメリカが支える政府は腐敗まみれで、国民の人気がなく、アフガニスタン政府軍はタリバンに抵抗することもなく、雲散霧消していった。タリバンは8月に抵抗を受けることなく首都カブールに入り、また米軍も政府を守ることなく撤退を進めていった。

 アメリカがサダム・フセインの独裁体制を打倒したイラクの事情もほぼ同様だ。バイデン政権は今回イラク政府を「民主主義サミット」に招待したが、イラク政府は腐敗で評判が悪く、2019年10月から大規模な反政府デモが発生し、今年10月に行われた総選挙でも政治腐敗、デモ弾圧への抗議から選挙をボイコットする人が後を絶たなかった。既存の政党や政治家たちは武装組織を権力基盤として、国民の間には無力感が広がっている。

Filmarks『ハート・ロッカー
イラク戦争を描く

 発展途上国の場合、アメリカが支援する政府の国が健全な民主主義国家と言える場合は多くない。イラン、チリ、南ベトナム、アフガニスタン、イラクとアメリカが強力に支援した国々はみな同様に失敗国家の道を歩んだ。アメリカの支援のどこに問題があったか、真摯な検討がない限りアメリカはまた過去と同様に、腐敗した、アメリカが問題にする中国やロシアと変わらない権威主義的国家をつくり、それらの国とアメリカは親密な関係を築いていくのだろう。

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