フランスとアルジェリアの関係が緊張している。アルジェリアは1830年から1962年までフランスの直轄領土とされた国だが、1954年から8年間の苛烈な独立戦争を経て1962年に独立を達成した。独立戦争では、アルジェリア側の見積もりでは100万人とも見積もられるアルジェリア人が犠牲になり、戦争中フランスは拷問、処刑など強権的な手法で独立運動を封じようとした。
10月3日にアルジェリアはフランス軍機の領空通過を禁じ、駐仏大使を呼び戻したが、9月30日にマクロン大統領がエリゼ宮で、アルジェリア独立戦争でフランス側に立って戦ったアルジェリア出身者の家族・親族らを前に行った演説が直接の背景となっている。マクロン大統領は、アルジェリアの公式史観は、事実に基づくものではなく、フランスに対する憎悪によって書き変えられていると述べた。また、フランス支配以前にアルジェリア民族はあっただろうか、テブン大統領を含むアルジェリアの政治・軍事システムは疲弊しているなどとも語った。フランス以前にアルジェリアを植民地化したトルコ(オスマン帝国)はその記憶を完全に消し去り、フランスだけを植民者のように歴史上扱っているとも述べた。

イスラムのオスマン帝国はアルジェリアで信仰されていたイスラムの信仰の継続を当然のことながら認めたし、またアラビア語の使用などアルジェリアの伝統文化に手をつけることもなかった。アルジェリアは「デイ」と呼ばれる太守(総督)の下で自治が認められ、デイは徴税や宗教機関への献金も独自に行っていた。つまり、オスマン帝国支配は、アルジェリアの伝統社会を壊すようなことはなく、オスマン帝国支配の下で「アルジェリア」という地理的境界もでき上っていった。
他方、フランスは主にアルジェやその周辺を略奪し、またアルジェリアの耕作地の大部分の接収を行い、オスマン帝国の自治州としてのアルジェリアの歴史を1830年に終わらせた。アルジェリアがフランスに併合された時に、フランス議会に代表権をもったのは、現地住民ではなく、フランスからの植民者であるコロンだった。コロンは19世紀末からアルジェリアの独立まで全人口のおよそ10分の1を構成していた。
フランスが普仏戦争(1870年~71年)に敗れると、フランスはプロイセンに奪われたアルザス地方からの難民を受け入れる目的もあって、さらに多くの土地を収用した。土地を没収されたアルジェリアの農民たちは、森林の周縁などに移住を余儀なくされたが、彼らの森林伐採によって、アルジェリア人の生活環境はさらに悪化した。
アルジェリアでは、フランスへの徹底的な同化政策が図られる。アルジェリアは、チュニジアやモロッコの「保護領」とは異なって、フランスの領土の一部とされてしまった。アラビア語に代わってフランス語教育が行われ、またイスラム法は廃止され、フランスの法律が導入される。さらに、ウラマー(イスラム諸学に通じた知識人、聖職者)は、教育、法、社会福祉に対する管理を剥奪されることになった。こうしてフランス支配は、アルジェリア社会のイスラム的性格を希薄にしていった。アルジェリアでは、1962年の独立時にはイスラムの宗教学校すらなく、アルジェリア人の経営による教育機関は警察学校だけだった。
ところで、アルジェリア独立戦争に日本社会はどのようにかかわったのだろうか。日本では、東西冷戦時代においてアルジェリアは第三世界の旗頭とも見られ、超大国が核兵器などで恫喝し合い支配する国際秩序の中で一部の政治家や大学生たちには強い共感があった。自民党の代議士であった宇都宮徳馬は、アルジェリア独立戦争が始まった1954年の翌年である1955年にアルジェリアを訪問し、アルジェリアへの支援の姿勢を鮮明にした。彼は、元大蔵大臣の北村徳太郎、社会評論家の淡徳三郎たちを誘って、独立戦争を支えるための「日本北アフリカ協会」を設立した。日本政府は、独立戦争がピークであった時に、アルジェリアの独立運動を担ったFLN(民族解放戦線)の極東代表部の東京での設置をフランスの猛反対があったにもかかわらず受け入れた。
アルジェリアのテブン大統領は、マクロン大統領の発言は130年間のフランス統治に抵抗して命を落とした563万人の殉教者の記憶を侮辱するものであると激しく反発した。またアルジェリアの2閣僚は公式文書ではフランス語ではなく、アラビア語を使用していくことを明かにした。
フランスとアルジェリアの緊張関係が繰り返し現れるのは、フランスがアルジェリア統治時代や独立戦争における土地の収奪、価値観の強制、さらには不当な拷問や処刑、殺害に反省や謝罪の意を表明しないことも大きな背景となっていることはまぎれもない。また、フランスで暮らす600万人とも見積もられるアルジェリア系の人々が疎外や差別の下に置かれ、経済的にも恵まれない、さらにはフランス国内で移民の排斥を唱える極右勢力が台頭していることも遠因として考えられるだろう。
写真は
https://www.middleeasteye.net/news/algeria-students-and-teachers-protest-against-army-chief より
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