2021年4月23日付の「ニューヨークタイムズ」のインタビュー記事の中で言語学者のノーム・チョムスキーは、中国のウイグル問題との対比の中でパレスチナのガザを論じている。チョムスキーは、100万人のウイグル人が「再教育施設」に収容されるなどウイグル人に対する中国の人権抑圧を非難しながらも、ガザでは200万人の人々が狭い空間に閉じ込められ、発電所、下水道施設が破壊され、定期的に空爆に遭っているが、これらはウイグル人たちにはないことを強調している。チョムスキーはガザの問題は我々に責任があると、歴史的にパレスチナ問題を発生させた欧米世界には改善・解決する責任があることを強調している。アメリカ、イギリス、カナダなど欧米諸国はウイグルに対する中国の人権侵害を強く非難するものの、イスラエルによるガザの人権抑圧を批判することはない。同様に欧米諸国はロシアのウクライナ侵攻は激しく非難するが、イスラエルのパレスチナ占領については静かだ。

シャネルのジャケット
パレスチナ刺繍のデザインですね
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イスラエルはエルサレムを支配することで、古代ユダ王国の復活を主張するが、そのような理屈がまかり通れば、ほとんどの地中海地域はムッソリーニが古代ローマ帝国の復活を唱えたようにイタリアの領土になってしまう。

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エルサレムはイスラムの開祖ムハンマドはイスラー(夜の旅)によってメッカからエルサレムに移動してミウラージュ(昇天)したところとイスラムでは考えられて、世界中のムスリムにとってエルサレムは聖地だ。
335年にローマ帝国のコンスタンチヌス帝の命令で聖墳墓教会が建立されると、エルサレムはキリスト教徒の巡礼の地になった。ササン朝のイランは614年から630年までエルサレムを支配したが、その後の短い間、ビザンツ帝国の領土となり、638年にイスラムの第2代カリフ・ウマル・イブン・ハッターブがエルサレムを征服し、アラブ・イスラム支配が始まり、1099年から1187年までの間、また1243年から1244年の間は十字軍の支配下にあったが、オスマン帝国のエルサレム支配が1917年に終わるまで、1200年近くイスラム支配の下にあった。
イスラエルは1967年の第三次中東戦争でエルサレム旧市街を含めた東エルサレムを占領し、1980年7月には東西エルサレムを首都とする基本法を成立させ、2018年5月にアメリカ・トランプ政権が大使館をエルサレムに移転し、イスラエルの東西エルサレム支配を事実上認めた。1980年8月20日に成立した国連安保理決議478号では、エルサレムをイスラエルの統一された首都とする「エルサレム基本法」を、武力によって領土を得ることは容認できない国際法に違反するものであることを確認した。

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チョムスキーの言葉
私は、パレスチナの占領とパレスチナ人の人権の否定を隠蔽するために、民族主義的またはその他のプロパガンダ目的で使用されるイスラエルでのいかなる欺瞞にも反対します。
https://bdsmovement.net/news/chomsky-clarifies-position-cultural-boycott-israel
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