アメリカのカリフォルニア州の「カリフォルニア」という名称がアラビア語の「カリフ(イスラム共同体の代表者の意味)」に由来するという説が有力であることはあまり知られていない。ガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボ(1450~1504)の小説『ラス・セルガス・デ・エスプランディアン(エスプランディアンの武勲〔いさおし〕)』(1510年)は、スペイン人のコンキスタドール(新大陸征服者)に人気があった小説で、コンスタンティノープル皇帝エスプランディアンのトルコ軍との戦いを描いたものだったが、小説は豊穣な島カリフォルニアが舞台だった。この小説はスペイン・セビリアで最初に出版された。セビリアは数世紀にわたって後ウマイヤ朝のカリフ国家の一部だった。

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クリストファー・コロンブスはアジアに到達することを夢想して大西洋を航海したが、異邦人との遭遇を想定してアラビア語の通訳を帯同させた。イスラムの信仰をもった者がアメリカ大陸に到達したのは、コロンブスの「新大陸の発見」と同時だったと見られている。
ムーア人(北西アフリカとイベリア半島のムスリム)は711年から1492年のレコンキスタの完成までイベリア半島を支配した。異端尋問で30万人から80万人とも見積もられるムスリムがキリスト教に改宗したと見られている。スペインではその後イスラムからカトリックに改宗したモリスコが密かにイスラムの信仰を継続しているかが内偵され、もし発覚した場合は迫害を加える場合があった。コロンブスの一行の中にもイスラムの信仰を捨てきれずにいた者もいたと考えられている。

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ベルナル・ディアス・デル・カスティリョ(1496~1584年)は、『メキシコ征服記 (Historia verdadera de la conquista de la Nueva España)』の著者だが、エルナン・コルテスのメキシコ征服に参加した。カスティリョは、アメリカの先住民女性の服装がムスリムのようだと記し、現地住民の宗教活動の場を「メスキータ(モスク)」と形容している。コルテスは、現在のテキサス州とメキシコを訪問する中で400以上のモスクを見たと述べているが、新大陸に到達したスペイン人たちにとって「イスラム」は異文化の代名詞だった。

ムーア人はイベリア半島にオレンジを初めてもたらしたが、考古学調査では10世紀にイベリア半島で灌漑がオレンジ栽培に使われていたことが判明し、またイスラム支配のシチリア島でも9世紀にオレンジ栽培が行われるようになった。アメリカ大陸にオレンジをもたらしたのは、15世紀末の新大陸の「発見」以降のことだった。柑橘類の生産で有名なカリフォルニア州にオレンジをもたらしたのはスペイン人の宣教師たちだったから、オレンジのカリフォルニアでの普及にムーア人が果たした役割がうかがえる。

ムーア・スタイルの建築様式はカリフォルニアでは懐旧の想いとともに、カリフォルニアでは有名な建物に見られる。ロサンゼルスの西ハリウッドにあるパティオ・デル・モロ(Patio del Moro)は1925年に建築されたムーア・スタイルのアパートメント・ハウスだ。また、サンフランシスコのアルハンブラ劇場は1926年に建設されたイスラムのミナレットのようなタワーがある構造になっている。

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