米国の俳優ブラット・ピットの右腕にはイスラム神秘主義の詩人ルーミー(1207~73年)の詩の一節がタトゥーとして彫られている。それはコールマン・バークスの英訳で「There exists a field, beyond all notions of right and wrong. I will meet you there.(正しさと誤りの概念を超えたところに野原がある。そこで君と会うだろう。)」というものだ。つまり、人間は互いの相違を乗り越えて寛容にならなければならないということだろう。

ルーミーには多くのキリスト教徒の弟子たちがいた。ある日、ルーミーの説教に多くのキリスト教徒が感激して涙を流す様子を見て、あるムスリム(イスラム教徒)はルーミーに「どうして異教徒があなたの話を理解できるのですか」と尋ねた。すると、ルーミーは次のように答えた。
「道はいろいろ違っても、行き着く先はただ一つ。
見るがいい。メッカの聖所に至る道は幾つもある。
或る人は小アジアからの道を取り、或る人はシリアから、或る人はペルシャから、或る人はシナから。また或る人はインドやイエメンからはるかな海路を越えて行く。もし道だけを見れば、みんなてんでばらばらで、お互いの開きは限りない。が、目指すところに目をつけて見れば、みんなが一致してーつになってしまう。すべての人の心が一致してメッカの聖所に向っているからだ。全ての心が聖所に結ばれ、聖所を愛し、聖所に憧れている。どこにも違いなどありはしない。そしてこの愛着の情そのものは異端でもなければ信仰でもないのだ。つまり今言ったように道は様々に違っても、その違いは愛着の情の純一さをいささかも乱しはせぬ。取るべき道に関してこそみんなの意見がまちまちで、この人はあの人に『お前は間違っている、異端者だ』と言い、あの人はこの人に同じことを言う。が、一たん目的地に着いてしまえば、もう議論も喧嘩もいざこざもありはしない。ひとたびメッカの聖所に到着してしまえば、今まで喧嘩していたのは道についての争いであって、目指すところはただーつだったということが誰の目にも明白になる。(井筒俊彦訳『ルーミー語録』より)」
ルーミーの作品には宗教の枠を超えた普遍精神や、他宗教に対する理解や寛容の心が貫かれている。イスラム思想史研究の竹下政孝氏は、これらはモーゼやイエスを預言者として認めることはもちろんのこと、他の各民族にも預言者が送られたと考え、これら多くの預言者の教えは、ムハンマドのもたらした教えと同じであると説くイスラムの原理に最も忠実なものと述べている。イスラムはこのように寛容や、下のように中庸の道を説いている。他宗教を攻撃し、また少数宗派に暴力をふるうのはイスラム本来の教えとは明らかに異なる。寛容の心は、日本の外交にも言い得る価値観であることはいうまでもない。
「アッラーはこう仰せられました。『ゆえにあなたが命じられたように、確立せよ 。そして、あなたと共に悔悟した者も。また、度を越してはならない。本当にかれは、あなた方の行うこと全てをご覧になられている。』(クルアーン11:112) 」
アイキャッチ画像はブラット・ピット
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http://movies.yahoo.co.jp/…/%E7%87%83%E3%81%88…/146528/
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