ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの詞には社会正義や愛の考えが強く滲み出ている。彼はペルシアの詩人オマル・ハイヤームの無常観や飲酒の世界を多く詠む「ルバイヤート」の精神世界に心酔していた。「絶対的に愛しいマリー」の中には「Well, I got the fever down in my pockets The Persian drunkard, he follows me(それでおれのポケットには熱があるペルシア人の酔っ払い やつが付きまとう」(ボブ・ディラン「絶対的に愛しいマリー」)とハイヤームを「ペルシア人の酔っ払い」と形容している。
ディランの父方の家族はトルコ北東部のカルス出身で、母方の姓は中央アジアのトルコ系キルギス出身者を表し、母方の祖父母はリトアニアからアメリカに移住したが、父方の祖父母は現在ロシアとの緊張を抱えるウクライナのオデッサからユダヤ人迫害ポグロムを逃れて1905年にアメリカにやってきた。

左からボブ・ディラン、ジョン・バエズ、ノエル・ポール・ストゥーキー
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そういう家庭的背景を抱えるディランだから社会正義の考えをいっそう強く持っているのかもしれない。
同志社大学で、アイン・シャムス大学のモハメド・ハワリー教授が行った講演の中で、「ヘブライ語のツェダカーは英語のチャリティ、アラビア語のサダカに相当する語であり、収入の10分の1を貧しい者に施すユダヤ教徒の義務のことである。ユダヤ教において社会正義は中心的位置を占めている。」と述べている。
ボブ・ディランの社会正義の考えは、ユダヤ教の正典である旧約聖書や、活動していたニューヨークの左派の活動家たちに影響されたものだ。彼は、大企業が支配する経済、不平等で、軍国主義的、人種主義的な考えが横行するアメリカに反発したが、富などに頓着しないハイヤームの精神世界に自ずと魅かれるものがあったのだろう。
一壺の紅(あけ)の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華にまさるたのしさ!(オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』)

ボブ・ディランの歌が2009年12月にデンマーク・コペンハーゲンで開催された「国連気候変動コペンハーゲン会議」のテーマ曲として採用されたことがある。「はげしい雨が降る/ A Hard Rain’s a-Gonna Fall」は1962年12月、同年10月にキューバ危機が発生するなど東西冷戦の緊張が高まる中で録音された。
歌詞は:
ああ、どこにいってたの青い目の息子
それで、どこにいってたの愛しい息子
12の霧深い山の山腹でつまずいて
6つの曲がりくねった道路をはったり歩いたり
7つのくすんだ森の中ほどに入り込んで
12の死の海の前に佇んで
墓地の入り口に1万マイル入り込んでいた
それで、すごい、すごい、すごい、すごい
すごい雨が降りそうなんだ (和訳付動画は
https://www.youtube.com/watch?v=x_4xE3l6yHA にある)
というものだが、核戦争の未来への恐怖の感情やその悲惨な情景を本来表現したものだが、現在の気候変動による環境破壊をも予想していたかのようだ。ある「ローリングストーンズ」誌の関係者は、「この歌で表現されるところはすでに地球で発生しつつある問題で、しかも私たちが日ごろあまり意識していないものだ」と述べている。日本ではともすると無頓着に見える環境破壊への危機が世界のあちこちで声高に叫ばれているが、環境を護ることも社会正義の道に通じるものであることは言うまでもない。
アイキャッチ画像はオークフリーより
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