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歴史的都市ローマとイスラムとの対話で不寛容を戒めたローマ教皇

 昨年9月にシチリア島を訪問する際にトランジットでローマに入った。ローマでは半日しかなかったが、ホテルのスタッフの勧めもあって、東京のはとバスのような観光バスに乗り市内を見てめぐった。ひとつひとつの観光目玉をじっくり訪ねると、1週間ぐらい...
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イタリア・ルネサンスはイスラム文化によって成り立っていた -フィレンツェ

 イタリア・トスカーナ地方の中心フィレンツェのバルジェロ美術館はイスラム関連の展示品を誇っている。イタリア・ルネサンスの中心でもあったフィレンツェは、メディチ家支配によってイスラム世界との交流を促進した。フィレンツェのシンボルとも言えるド...
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学問の自由に介入する政治家たちとファシズムに反対したイタリアの歴史家

 菅義偉前首相による日本学術会議の任命拒否など学問への政治の介入は日本だけにとどまらない。アメリカではトランプ前政権は「批判的人種理論(critical race theory)の研究や教育を行う機関への連邦予算の見直しを行った。学問への...
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スペイン・トレド -異教徒たちがともに学術研究に取り組んだ町

 スペイン・トレドにはキリスト教会だけではなく、ユダヤ教のシナゴーグにも、キリスト支配を受けながらもイスラムの信仰を保持したムデーハル(ムデハル)たちの様式を見てとることができる。この街は、イスラム、キリスト教、ユダヤ教の信徒たちがともに...
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中央アジアを踏査し、ロシアとの交渉を見据えた明治の外交官

 ウクライナに侵攻したり、シリアに軍を駐留させたりするロシアの姿勢はかつてのロシア帝国主義の進出のように、政治的影響力をもち、かつ経済的利権を獲得できる地理的範囲をできる限り維持しようとする地政学的な発想があるように見える。  明治...
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ゲバラが見た「悲劇から立ち直る日本」

 今日、10月9日は革命家のチェ・ゲバラがボリビアで殺害されてから55年になる。ゲバラは、1959年7月、31歳の時に国立銀行総裁として通商団を率いて来日した。日本を訪問先として選んだのは当時のカストロ首相が日本びいきということもあったよ...
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アルハンブラの思い出 スペイン最後のイスラム王朝-ナスル朝

 スペイン・グラナダにあるアルハンブラ宮殿は、壮麗で、幾何学的知識を駆使した複雑な文様のアラベスク、また天才的とも思われるムスリムの水の芸術は、宮殿を造ったナスル朝の実力と栄華をよく伝えている。  ナスル朝はイベリア半島最後のイスラ...
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イスラエルの「アパルトヘイト」を批判した元大統領は「ヒロシマの平和の鐘」を鳴らす」

 10月1日、アメリカのジミー・カーター元大統領が98歳の誕生日を祝った。アメリカの歴代大統領の長寿記録をさらに更新した。つまりアメリカの大統領経験者としては最も長生きをしているのだ。1924年(日本で言えば大正13年)生まれで、日々の楽...
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プーチン大統領よ、日本の被爆者の慟哭を聞け!

 プーチン大統領は9月30日にウクライナ4州を併合し、核兵器使用の可能性をほのめかすことの正当性の理由をアメリカが広島、長崎に原爆を投下し、日本、韓国、ドイツをいまだに占領していることを理由に挙げた。ロシアのウクライナ占領は強制的なもので...
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