ビートルズの反戦歌「愛こそすべて」とヨーロッパの領土的ナショナリズム

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Translation / 翻訳

 ビートルズの楽曲「All You Need Is Love (愛こそはすべて)」(1967年発売)はジョン・レノンが作ったもので、ビートルズのベトナム戦争反対の想いが込められていた。1964年にアメリカはトンキン湾事件を口実に北爆を開始し、1967年3月にハイフォン市を猛爆、その翌月である4月にはアメリカ全土にベトナム反戦運動が高揚していったが、このような潮流の中で生まれた曲だった。イントロにはフランス国家の「ラ・マルセイエーズ」が使われているが、ジョン・レノンにはフランス国歌に表現される戦闘的ナショナリズムを皮肉る意図もあったに違いない。

 
 ロシアの作家トルストイの平和主義も愛を強調し、南アフリカで人種差別に対する抗議活動をしていた若きガンジーに宛てた書簡(1909年)でトルストイは、「『無抵抗』と呼ばれていることは、愛の法則に他ならないということです。愛は人間の生活の最高にして唯一の法則であり、このことは誰でも心の奥底で感じていることです。私たちは子供の中にそれを一番明瞭に見出します。愛の法則はひとたび「抵抗」という名のもとでの暴力が認められると無価値となり、そこには権力という法則だけが存在します。」と語り、ガンジーの非暴力主義に影響を与えた。


〔All You Need Is Love (愛こそはすべて)〕―ビートルズ
All you need is love, all you need is love
All you need is love, love, love is all you need
All you need is love
All you need is love, love, love is all you need
君が必要なものは愛、君が必要なものは愛さ
君が必要なものは愛、愛なんだ、愛こそすべてさ
君が必要なものは愛
君が必要とするのは愛、愛なんだ、愛こそすべてさ
(演奏は https://www.youtube.com/watch?v=mojyVuHZGxQ にある)

How to Read French Poetry
https://mainichi.jp/…/courses/how-to-read-french-poetry


 これに対してフランス国歌は、


いざ祖国の子らよ!
栄光の日は来たれり
暴君の血染めの旗が翻る
戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号
我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり
武器を取るのだ、我が市民よ!
隊列を整えよ!
進め!進め!
敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!


などと歌われ、ナショナリズムに基づき、血で領土や植民地の獲得を行ってきたヨーロッパの国の歴史を表すかのようだ。プーチン大統領のロシアのウクライナ侵攻にもヨーロッパのナショナリズムの歴史が影を及ぼしていることは間違いない。

十津川警部シリーズ、好きでした https://twitter.com/tacjcp/status/1497340269993230336


 1917年のロシア革命後、ロシアは第一次世界大戦の中央同盟諸国と早期講和を行い、領土的譲歩を重ねていった。ロシアはポーランドの領土主権、バルト三国、フィンランド、ウクライナ、ベラルーシから撤退してこれらの国の独立を認めたが、ロシア軍がこれらの国から撤退すると、ドイツ軍が駐留することになった。カフカス地方の一部もオスマン帝国に割譲し、この条約でロシアが失った領土は実に328万平方キロメートル(日本の面積の10倍弱)に上り、ヨーロッパ史上未曾有の喪失だった。さらにジョージアの独立と60億ルーブルの賠償金を支払い、バクー油田から生産される石油の3分の1をドイツに与えることになった。

ブレスト=リトフスク条約でロシアがドイツに割譲した地域(ピンク)
日本の国土の10倍弱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9D%A1%E7%B4%84?fbclid=IwAR3xQfLPyC5zLtmXs1R0kesvz2o_NxJTilTwyXqjNTgHIOfceSqqFu1281Q


 ロシアが独立を認めたフィンランドはその後ナチス・ドイツのソ連侵攻の拠点となった。1934年にポーランドのピウスツキ首相は、ナチス・ドイツとの間に不可侵条約を結んだ。ピウスツキにとってはドイツよりもソ連のほうが深刻な脅威だった。1939年にヒトラーがポーランドとの不可侵条約を破棄し、ポーランドに侵攻すると、ソ連が1921年のリガ条約で割譲したポーランドの領土を併合した。1941年にナチス・ドイツがソ連に侵攻すると、ウクライナの民族主義者にはこれに協力し、またバビ・ヤールの虐殺に加担する者たちもいた。この虐殺では10万人のウクライナのユダヤ人、共産主義者、ロマ族、ソ連国籍の者が虐殺された。

ドイツとソ連によるポーランド分割(1939年9月)
https://mainichi.jp/articles/20200122/dde/014/040/009000c


 ロシアによるウクライナ侵攻はこうしたナショナリズムによるヨーロッパの領土の奪い合いの歴史の中で生まれたものといえる。ウクライナは冷戦の終焉後、欧米に接近する姿勢を見せ、イラク戦争でも多国籍軍の占領統治に参加した。またウクライナとアメリカの親密な関係はバイデン大統領の息子ハンター・バイデンがウクライナの天然ガス会社の取締役を務めていたことからもうかがえる。トランプ大統領がゼレンスキー大統領に軍事支援と引き換えに圧力をかけ、バイデン親子のスキャンダルを捜査するように促したことがトランプ大統領の弾劾調査の材料となったこともある。


アイキャッチ画像はオークフリー
https://mainichi.jp/articles/20200122/dde/014/040/009000c

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