勤勉と教育で成功したブラジルのアラブ系移民とユダヤ人との共存

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Translation / 翻訳

 ブラジルのアラブ人たちは主にシリアやレバノン、さらにはパレスチナから1880年代に最初にやってきて、アマゾン流域のゴム・ブームで成功することを夢見た。日産自動車の元会長ゴーン被告の祖父もゴムに関心をもってブラジルに移住している。オスマン帝国の弱体化に伴う社会的混乱、また第一次世界大戦後はシリア、レバノンがフランス支配を受けたことも移民の背景となった。


回教(かいきょう)寺院の塔(ミナレット) ひとつの夢
尖塔(せんとう)は泣いた
外国人が来て、それを買ったとき
そしてその上に 煙突を立てたとき。
(シリアの詩人アドニス、高良留美子訳)


 アドニス(1930年生まれ)は、シリアで生まれ、レバノンの聖ジョセフ大学を卒業し、現代アラブ詩の代表的詩人でノーベル文学賞候補にもその名前が挙がるが、上の詩はシリアやレバノン、パレスチナなどアラブ世界に対する西欧支配を嘆いたものだ。


 現在アラブ系のブラジル人は1500万人から2000万人とも見積もられているが、ブラジルの総人口は2億人余りだから人口の1割弱がアラブ系ということになる。アラブ文化は、この国でも見られ、公用語のポルトガル語の中にはアラビア語由来の言葉がある。たとえば、「アロス(arroz、コメ)」、「アスーカル(açucar、砂糖)」「アウファースィ(alface、レタス)などがブラジルでは頻繁に使われる。

ジュリア・ガマ
ミス・ブラジル
https://www.arabnews.com/node/1894481/lifestyle


 ここでもアラブ人たちは小規模な織物業を興したり、ドライ・フルーツの店を始めたり、また行商などで勤勉に働き成功していった。アラブ人たちは子弟に高等教育を受けさせ、医師、弁護士、起業家、政治家などの分野にも進出してった。それは勤勉に働き、教育を重んじるというのは、ユダヤ人がアメリカ社会で成功した「秘訣」でもあった。


 ブラジルにはアラブ社会と並んで、9万人強のユダヤ社会も存在するが、ここではイスラエル・パレスチナ問題のような対立や不和はない。ブラジルにユダヤ人が移住してきたのはアラブ人よりもはるかに古く、スペインやポルトガルのレコンキスタを契機にするものだった。オランダに逃れたユダヤ人たちは、17世紀にオランダ商人とともにブラジルにやってきて、1630年にブラジル最初のシナゴーグを建てた。次のユダヤ系移民が大量にあったのは、19世紀にフランスが進出したモロッコからで、西欧化する社会にユダヤの伝統が適合しないことや、やはりモロッコ社会の不安定ぶりが背景にあった。さらに20世紀のナチス・ドイツのホロコーストなどユダヤ人迫害が移民を加速させたことはいうまでもない。

シリア系ブラジル人たち
https://en.wikipedia.org/wiki/Syrian_Brazilians


 ブラジルではユダヤ人たちも勤勉で、成功を収め、アラブ人たちとは互恵的関係を築いている。サンパウロにはユダヤ系の「アルベルト・アインシュタイン病院」があり、同じくサンパウロにはアラブ系の「シリア・レバノン病院」があって両者は協力関係にある。リオデジャネイロではアラブ人とユダヤ人が同じ青空市に参加してもいる。このように、ブラジルではアラブとユダヤが見事しているが、ブラジルもまたパレスチナ問題ではイスラエルの国際法違反に明確に批判を行う国で、今年5月には70人余りの国会議員たちがイスラエルのガザ攻撃や入植地拡大について非難する声明に署名した。

サンパウロで。今年5月。パレスチナとの連帯を訴える人々。
https://www.middleeastmonitor.com/20210531-we-are-the-free-voice-of-palestine-brazil-and-argentina-continue-their-support-of-palestine/?fbclid=IwAR3ds8tI4gAPOFnPlSXf3-cYRFijN9fRv0j7s5df6ss2OmhCciIrHkvtfeA
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