パレスチナとの共存を目指したイスラエルの作家 ――アモス・オズ

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Translation / 翻訳

 イスラエルの著名な作家で、平和運動家のアモス・オズ(1939~2018年)は、徴兵制のあるイスラエルで第三次、第四次の二度の中東戦争を戦ったが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムを占領すると、イスラエル軍の撤退とパレスチナとの二国家共存を訴えるようになった。現在のネタニヤフ政権やトランプ大統領の構想にあるようなパレスチナ問題の一国家による解決を一貫して否定し、宗教や民族性だけでなく、ヒューマンなユダヤ人の文化によって定義されるイスラエル国家の実現を望んだ。


 1978年に、イスラエルの平和団体である「ピース・ナウ」の創設に加わり、エジプトとの和平を支持した。


 2001年に米国で911の同時多発テロが発生すると、アラブ・ムスリムの原理主義の犠牲になることによって、キリスト教やユダヤ教の過激主義に無頓着になりがちになると警鐘を鳴らした。


 1939年にエルサレムのアモス・クラウスナーでロシアとポーランドから移住してきた両親の間に生まれ、キブツ(集団農場)での社会主義的な生活にあこがれ、労働シオニズムに傾倒していった。また、キブツで生活していた10代の時に、ヘブライ語で「勇敢・力」を意味する「オズ」に改名した。


 アモス・オズは、共通の「抑圧者」という「親(=イギリス)」をもちながらも、イスラエルとパレスチナは信頼し合うことができず、イギリスに対してかつてもった不信や反発の目を相互にもち合うようになった。そうした両者の憎悪や敵対を乗り越え、共存していくことを彼は望んだ。


 俳優のナタリー・ポートマンは、2002年に発表されたアモス・オズの「愛と暗闇の物語」を2015年に映画化したが、アモス・オズが数え切れないほどの美、愛、また平和へのビジョンをもたらしてくれたと語り、その死が心の折れるほどの哀しみであると述べた。

映画「愛と暗闇の物語」


「狂信主義はイスラームより、キリスト教より、ユダヤ教より古い。どんな国や政府よりも古いし、どんな政治形態、どんなイデオロギーや信念よりも古くからこの世にあります。悲しいかな、狂信主義は人間の本性につねに備わっている成分、いわば悪い遺伝子なのです。」——アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』


 2008年7月に京都大学で講演したフランスのドミニク・ドヴィルパン元首相は少数言語に対する理解を求め、「言葉の渡し守(渡し船の船頭)は平和の渡し守でもある」と語り、翻訳と詩を世界の平和と対話に不可欠なものだとし、代表的な詩人として上に紹介したイスラエルのアモス・オズとパレスチナのマフムード・ダルウィーシュの名前を挙げた。
http://www.kyoto-up.org/archives/385
アイキャッチ画像はナタリー・ポートマンとアモス・オズ
https://people.com/movies/natalie-portman-mourns-israeli-author-amos-oz/

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