「女神の報酬」のイタリア・アマルフィはイスラム・文化を継承した

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Translation / 翻訳

 アマルフィ公国 (Ducato di Amalfi)は南イタリアのアマルフィを中心に9世紀から12世紀にかけて存在した海洋都市国家で、アマルフィの商人たちはシチリア島、チュニジア、エジプト、パレスチナなどで活発な交易を行っていました。ヴェネツィアと同様に、アマルフィ商人たちが香料などヨーロッパではめずらしかった東方の物資を扱ったことは、彼らに商業的成功をもたらすことになりました。


 現在、アマルフィ市は、世界文化遺産にも登録される風光明媚なアマルフィ海岸の中心部に位置し、断崖絶壁によって囲まれるリゾート地ともなっています。2009年に公開された織田裕二主演の「アマルフィ 女神の報酬」以来、日本人観光客にも人気の観光スポットとなりました。


 アマルフィのドゥオーモ(大聖堂)は、アラブ・ノルマン・ロマネスク様式で、オリエントの影響が見られます。11世紀からノルマン人がシチリア島を統治するようになりましたが、ノルマン人はフランス北部からやって来て、シチリア島を支配し、それからアマルフィなどイタリア南部に進出しました。シチリア島ではノルマン人の前にアラブ支配がありましたが、シチリア島でアラブ文化の影響を受けたノルマン人たちがアマルフィでもアラブ風のロマネスク様式の建築物を残しました。

ドゥオーモ(大聖堂)内部


 10世紀から11世紀初頭にかけて、アマルフィの貿易は拡大を続け、地中海交易ではピサやジェノアをしのぐほどでした。国内的にも多くの公共事業や「天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年)」、また既述のドゥオーモなどの文化的・宗教的建築も残しました。

ドゥオーモ
「天国の回廊」
イスラム様式


 アマルフィの商人たちはチュニジアでは、ヨーロッパの小麦、木材、亜麻布(あまぬの)、また果実などの農産物をオイル、ワックス、金と交換し、またエジプトでは香料や金と交換しました。アマルフィが特に密接な関係を築いたのはエジプトのファーティマ朝(909~1171年)で、ファーティマ朝の協力の下にエルサレムや他の中東地域に植民地をもち、これらがアマルフィ商業の拠点となりました。エジプトやチュニジアへの航海はシチリア島を経由するもので、エジプトのアレクサンドリアで絹とハチミツを荷揚げして、シチリア島に下ろすこともありました。

ドゥオーモ
柱はスペイン・コルドバのメスキータに似ていると思います。


 アマルフィにはまたムーア(北西アフリカやイベリア半島のムスリム)様式のヴィラ・ルフォロがあります。この邸宅を気に入った作家のボッカチオや音楽家のリヒャルト・ワーグナーはここで優れた作品を残しています。
アイキャッチ画像はアマルフィ
ドゥオーモ

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