イスラムに対する誤解や偏見が欧米に、あるいは日本にあるとすれば、それはイスラムは暴力的な宗教で、女性は抑圧されているといったステレオタイプ的イメージだ。
イスラムに対する誤解は主に「無知」から発生している。YouGov/HuffPostが2015年12月に実施したアンケートでは、52%のアメリカ人がイスラムを理解していない、36%が「もっと知りたい」と回答し、興味を引くことに30歳未満では46%のアメリカ人がイスラムを好意的にとらえていた。
中世スペインの吟遊詩人たちは、アラビア語から抒情的な美しい表現を借用していたし、アラビア語は15世紀まで南部スペインの宮廷用語だった。12世紀に建立されたシチリア島のパラティーナ礼拝堂は、10世紀から12世紀にエジプトを支配したファーティマ朝の王朝様式に基づいて金箔で装飾され、内装が描かれている。

このような交流は人の移動によって可能だった。イスラム帝国自体も、ビザンツ帝国、ローマ帝国、ササン朝の文化によって影響され、多様で、コスモポリタン的な社会が築かれていった。

カラウィーイーン大学
世界最古の大学
http://www.es.truth-seeker.info/wp-content/uploads/2014/11/al-qarawiyyin-1.jpg?fbclid=IwAR0Lu9YDMyb0j6JtCsmcLkGqzzuIAY86ZoaxKg_H5V6THmLSHQZdxsajiME
イスラムに対する誤解や偏見を解くには、いかに文学、詩作、芸術、音楽、建築などが文明という境界を越えて相互に影響し合っていた歴史を知ることが必要だろう。ビザンツ帝国からコンスタンチノープルを攻略したオスマン帝国のメフメト2世はイタリア・ルネサンス期ヴェネツィア派の画家、ジェンティーレ・ベリーニ(1429~1507年)に自らの肖像画を描くことを依頼し、それをヨーロッパ諸国の支配者たちに贈った。オランダの画家レンブラントはムガール帝国の細密画を蒐集し、またイランのサファビー朝で生産される絹はポーランドの王たちが好んで用いて、その紋章はイランのイスファハーンで制作された。
ドイツのゲーテの『西東詩集』(1819年)は、イラン(ペルシア)の詩のスタイルや、イスラム神秘主義によって影響されていた。晩年のゲーテは『クルアーン(コーラン)』やハーフェズの詩集を好んで読んでいた。モロッコ・フェズの最古の施設カラウィーイーン大学とエジプト・カイロのアル・アズハル大学は世界最古の大学である。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館では最近「エルサレム 1000年~1400年:すべての人々は天国の下に」という展示を行ったが、そこでは三大一神教、キリスト教、ユダヤ教、イスラムが、芸術、音楽、文学の分野で互いに影響し合っていたことが示されていた。
アメリカ社会でも、多様な文明が相互に影響し、豊かな文化や芸術を形成してきた。アメリカ南部の西アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちはブルースという音楽のジャンルをつくり出した。アメリカで一番高いシカゴのウィリス・タワー(シアーズ・タワー、442メートル)はバングラデシュ系アメリカ人のファズルール・ラフマーン・ハーンのデザインによるものだ。アメリカ社会も多様な文化を採り入れて豊かになってきた。
イランの詩人ルーミーは「すべての宗教は共通の歌を歌う。相違とは幻想に過ぎず、虚しい。」と述べている。米国のトランプ前大統領やヨーロッパの極右のように、相違を強調するのは対立や確執しかもたらさない。
アイキャッチ画像はパラティーナ礼拝堂
コメント