下は翻訳家のAyaさんのブログにあったアフガニスタンの小学生6年生のダリー語(アフガニスタンの国語の一つ)の教科書で紹介されている詩で、Ayaさんによって日本語に翻訳されている。様々な制約や束縛、画一化から解放されたアフガン人の強い心情がアフガニスタンの国花であるチューリップに寄せて詠まれているようだ。
「自由のチューリップ」
私は自由のチューリップ 自ら生え 自ら香る
野原に居場所がある ガゼルと同じ性格だ
私の水は雨粒だ 小川の端には頼らない
あそこの環境は窮屈だ 私は花園では育たない
私は自由のチューリップ 自ら生え 自ら香る
もし顔に色があるなら それは私の体に流れる血の色だ
美容師は要らない 私の頬には美しさがある
茎の上で安定しているから 支えは必要ない
味方もいらない 敵もいらない
私は自由のチューリップ 自ら生え 自ら香る
(一部手を加えました)
https://www.daridaridari.com/entry/2020/07/15/111100

ダリー語でチューリップは「ラーレ」と言い、神「アッラー」を表す言葉と同じアラビア文字によって構成され、ムスリム(イスラム教徒)にとっては宗教的な響きをもっている。花を慈しむのは平和があるからこそで、平和や安定のある時代、アフガニスタンでは花を詠む詩会(日本の句会に相当する)も開かれていた。
富山県砺波市(となみし)ではチューリップの栽培が盛んだったが、戦争による食糧難によって米や麦の生産を余儀なくされたが、やがて平和になってチューリップを慈しむ時代が来ると信じられてチューリップの生産が隠れて行われた。砺波市ではチューリップは「平和の花」と見なされ、戦争の惨禍に遭ったイラクの子供たちにもチューリップを模した折り紙に励ます言葉が書き添えられて送られたことがあった。
チューリップは元々、イランやアフガニスタン、トルコで栽培が見られたが、ヨーロッパに最初に紹介したのは、イスタンブール駐在の神聖ローマ帝国の大使で、著作家、薬草学者のオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(1522~1592年)で、1551年にトルコ・エディルネでチューリップの美しさに魅せられ、オーストリアに種子を送った。チューリップは、ヨーロッパとイスラム世界の文化的交流を表す花でもある。
タリバン政権になってアフガニスタンは自由や平和を構築できるかその正念場にある。かりにタリバンが経済運営に失敗し、人々に安全を保障できないようだと、反対勢力の離散集合、再編が進み、反タリバン運動が現れ、求心力をもち、アフガニスタンはまた不安定に陥るだろう。イスラム世界でも、「アラブの春」に見られるように、自由や多元主義は次第に尊重されるようになった。イスラムや部族の保守的な価値を重んずる傾向が強いアフガン社会であっても、特に都市部ではこれらの価値は若者たちの間で意識されているに違いない。タリバンは、イスラム世界の政治変動が都市を中心に発生してきたことも忘れてはならないだろう。
アイキャッチ画像はアフガニスタン
クンドゥズ州で
女性の姿が見られませんが、アフガニスタンとはそういう国だと思います。
女性を戸外で見る機会はあまりないですね。
https://twitter.com/sayedsalahu…/status/718417872683462656

「二度と自衛隊を送らない」というメッセージもある
https://readyfor.jp/…/iraqchildcare/announcements/111244

https://www.middleeastmonitor.com/20170421-tulip-festival-in-iran/?fbclid=IwAR0AvfuATPmTMnc2gD7tC9VAk7RoQKegryj61NKf3e2ECqYlLZZM3jI0JBc

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